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Q:ポツダム宣言の協議にソ連も関わったのでは?

[1999.12.23]
> 教科書では、 ポツダム会談では、トル−マン・チャ−チル
> (のちアトリ−)・スタ−リンが会談したが、ソ連は対日戦に参加していな
> かったので、米・英・中3国の名で発表された。 と書かれているので、ソ連も
> ポツダム宣言の協議に関わっていたのではないでしょうか?

そのように書いている教科書が多いことは事実ですし,また日本史の辞書でもそのように説明されているケースが多々あります。
ところが最近の研究によれば,ポツダム会談ではポツダム宣言(日本への降伏勧告)については協議されていないとのことです(つまり教科書の記述は間違っているわけです)。そこで,私の参考書ではそれに従って記述しました。

百瀬孝「ポツダム宣言のことなど」(『本郷』1996.1)で,次のように書かれています。

「ポツダム会談では対日降伏問題など話し合われておらず、ソ連の対日参戦が部分的に話し合われたのみである」。(p.20)
「ポツダム宣言はアメリカ政府内部で内容文案を決め、会談期間中イギリスのチャーチル首相に提示し、イギリスの三点の修正をアメリカは受け入れ、会談に出ていない中国に電信で意見を求め、蒋介石から自分の名の記載順序をイギリスの前に変更してくれという唯一の希望を受け入れて、アメリカ、イギリス、中国三国宣言として七月二六日に公表された(蒋介石は自分は元首だからと元首でないチャーチルの後は困るとしたが、国名記載順序としてはイギリスの後でよいとした)。ソ連には公表後モロトフ外相に示したのみである(トルーマンが事前にスターリンに宣言を出すことは話している)。モロトフもスターリンも勿論怒ったが、後の祭りであった」。(p.20〜21)
また『国史大辞典』(吉川弘文館)の項目「ポツダム宣言」でも,ポツダム会談で日本への降伏勧告が議題とされたとは書かれておらず,ポツダム会談とポツダム宣言との関連は明記されていないのが実情です。