[テーマ/目次] 

冊封と朝貢

メールでの質問への応答です(2002.05.12)。
> 「冊封」という言葉の意味が教科書を読んでもわからないので教え
> てください。朝貢の意味もわかんないので、、、、、

冊封と朝貢の意味がわからないという話ですが,教科書を読んだだけでわから
なかったら,用語集や辞書,参考書も調べましょう。本来ならば,その上で質
問してほしいです。

とはいえ,何も応えずにつっかえすのは何ですから,説明しておきます。

「朝貢」とは,もともと中国において行われていた政治儀礼で,中国に周辺諸
国(たとえば倭国)が使節を派遣してさまざまな物資を献上し,中国皇帝に対
して臣下の礼をとる(臣下として服従する)ことを言います。
もともと中国には,中国河南省地方を天下の中央と考えてその地を「中華」と
称し,その中華を天命をうけた天子(皇帝)が「徳」をもって支配し,天下(
要するに全世界)に「礼」と「法」を押し広げることを理想とする考え方(中
華思想)がありました。ですから,中国皇帝のもとへ周辺諸国が使節を派遣し
てくるのは中国皇帝の「徳」を慕ってのことであり,臣下として服するための
ことであると考えられていました。そこで,周辺諸国からの使節派遣は中国で
は「朝貢」と把握されたわけです。

さて,周辺諸国からの使節派遣は中国皇帝の「徳」を慕ってのことだと考えら
れていたわけですから,中国側ではそれに対する返礼として豪華な物資を与え
る(回賜・下賜)ことによって自らの「徳」を誇示することが不可欠です(だ
から「朝貢」には貿易的要素が含まれていたのです)。さらに,中国皇帝が直
接支配下におさめていない領域に対しても「礼」と「法」を押し広げるのが理
想なわけですから,中国皇帝は臣下の礼をとった周辺諸国の首長に対して王号
や爵位を与えてその領域の支配権を認知しました。これを「冊封」と言います
(周辺諸国に対する対応策には「冊封」以外に「羈縻」がありますが,これは
日本史には関係がないので省略します)。
ところで,周辺諸国の首長は自らが現実に支配している領域の支配権をなぜ中
国という他国から認知してもらう必要があったのか,という疑問が浮かぶかも
しれません。
しかし,冊封をうけると定期的な朝貢や中国の暦を使用することが義務づけら
れるものの,だからといって中国皇帝の政治支配をうけるわけではなく,独立
国家としての内実は維持されます。さらに,中国皇帝を中心とした国際的な政
治・身分秩序のなかに編成されたわけですから,圧倒的な大国である中国との
あいだに平和的な関係を確保することが可能なだけでなく,同じように冊封を
受けている国どうしの安定した関係を確保することも可能になってきます。ま
た,ある領域に対して冊封が行われた場合,冊封を受けた人物以外の勢力が中
国皇帝のもとに使節を派遣しても受け付けられませんでしたから,冊封を受け
た人物は,中国との関係を権威の裏づけとして自らの支配力を強化することが
可能となってきます。周辺諸国の首長にしてみれば,こうしたメリットがあっ
たのです。

なお,こうした朝貢・冊封関係は中国だけに限られていたわけではなく,中国
と朝貢・冊封関係を結んだ周辺諸国が自国中心の国際秩序を作り上げるために
それを模倣しているケースが多々あります。日本もその例にもれず,8世紀の
律令国家は新羅や渤海からの使節を「朝貢」と位置づけています(冊封はなか
ったようですが)。
[2002.05.12]