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私擬憲法

メールでの質問への応答です(2004.02.06)。
> ある本の解説に「各私擬憲法案は国会開設の勅諭“以前”に出され、国会開設の
> 勅諭は民間の憲法私案を禁圧して立憲制度準備の主導権を政府側に確保するこ
> とにあった。」と書いてあるのですが、本当ですか?“以前”ではなく“以後”
> の間違いでは?また、勅諭の目的も、開拓使官有物払い下げ事件に対する政府
> 批判が厳しくなったから、その緩和策・妥協策として出されたのではないので
> すか?

私擬憲法は,1880年に国会期成同盟が各地で憲法案を作成し1年後に持ちよるこ
とを決議したことをきっかけとして各地で作成されましたので,国会開設の勅諭
<以前>から作成されています。
次に,国会開設の勅諭が出された経緯ですが,開拓使官有物払下げ事件に対する
政府批判が厳しくなったことは,単なるきっかけにすぎません。政府部内で憲法
構想や国会開設時期をめぐる意見対立があったこと,民間で国会請願運動が展開
すると共に自主的な憲法草案作成の動きが進んでいたこと(民約憲法をめざして
いた)が背景です。だから,国会開設の勅諭で政府は,国会開設時期を公約する
とともに,<欽定憲法制定>の方針を示したのです。つまり,その本の解説にあ
る通り,「民間の憲法私案を禁圧して立憲制度準備の主導権を政府側に確保」し
たのです。
[2004.02.06]