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震災恐慌と震災手形

メールでの質問への応答です(2004.11.13→2004.11.22修正)。

> 震災恐慌への対応で、日本銀行に震災手形をほぼ無条件で再割引させる形で4
> 億3000万円あまりを特別融資を行わせ、というところで再割引ということがど
> うもイメージできません。具体的にはどのような状況になるのでしょうか。

まず、手形から説明しておきましょう。
手形とは代金支払いのために用いられるものなのでですが、受験の日本史では、鎌倉〜室町時代の経済のところで出てくる場合があります。為替を知っていますよね。手形(割符とよばれる)を使った代金決済の方法、と説明されますが、その手形です。
手形には基本的に為替手形と約束手形とがあるのですが、問題になるのは約束手形なので、そちらだけ説明しておきます。
約束手形は、後日に代金の支払いを約束した証書(→こちらが実物)です。つまり、何カ月かあとに支払うことを約束した証書でして、企業どうしが取引きを行う際、こうした手形を使って代金決済を行うのが普通です。
これだけでは分かりにくいでしょうから、もう少し具体的に説明しましょう。
企業Aと企業Bが取引きを行い、企業Aが企業Bから100万円の商品を買ったとしましょう。その際、企業Aは代金を現金で支払うのではなく、100万円の代金を後日(たとえば6カ月後)に支払うことを約束した手形(約束手形)を企業Bに渡します(これを手形を振り出すという)。この約束手形の額面には100万円の金額が記されています。
  (1)商品を売る
 企←←←←←←←企
 業       業
 A→→→→→→→B
  (2)手形を渡す
現金取引きをせずに代金を後払いにしてもらえる、これが「信用」ですね。企業Aは6カ月になってもちゃんと正常な経営を続けていて必ず代金を支払ってくれるとの「信用」があるから、こうした取引きが成り立つわけです。
さて、関東大震災に関連づけて説明すれば、企業Aが企業Bから商品を買った日が1923年6月1日だとしましょう。そして、その日、企業A(支払人)は1923年12月1日に、ある銀行のある支店で代金の100万円を支払うことを約束する手形を企業B(受取人)に渡した(振り出した)としましょう。

ところが、1923年9月1日、東京・横浜近郊を関東大震災が襲います。そして、企業Aが被災したとしましょう。工場設備は震災によって損壊をうけ、操業再開の見通しがつきそうにもなかったとしましょう。
さて、企業Aはさっきの手形を期日通り決済することができるでしょうか。いいかえれば、約束した期日(1923年12月1日)に指定の代金100万円を企業Bに支払うことができるでしょうか。極めて難しいですね。
こういう被災によって決済(代金の支払い)が困難になってしまった手形が震災手形と呼ばれるものです。言い換えれば、被災企業を支払人とする手形が震災手形と呼ばれたわけです。
ところで、もし手形を決済することができなければ(手形が不渡りになる、という)、企業Aは約束を履行しない、信用できない企業ということになり、手形を使った決済をやってくれる取引き企業はいなくなるでしょう(取引きするとしても現金での決済を求められますね)。また、約束を履行しないとなれば、さて資金を貸してくれる銀行もいなくなってしまいますね。となれば、企業Aは倒産ということになってしまいます。
関東大震災のときは、こんな状態に陥った企業が続出したわけです。

さて、ここで少し話題を変えます。
手形なんですが、これは額面に記された金額を受け取ることのできる権利書ですね。権利は他人に譲渡・売却することができます。
たとえば、コンサートのチケットとか、JRなどの切符とかを想像してください。これらは金券ショップで売られています。つまり、誰かが購入したコンサートのチケットなどが金券ショップを通じて他人に売却されているわけです。その際、注目して欲しいのは値段です。コンサートのチケットが元値3000円だったとして、金券ショップで額面通りの3000円で売っているでしょうか。プレミアがつくようなアーチストの場合ならともかく、一般には額面よりも安い値段(たとえば2600円とか)で売っています。つまり、額面よりもいくらか割引かれた価格で売買されているわけです。
これと同じように、手形も額面よりもいくらか割引かれた価格で売買されます。
たとえば、さっきの手形は額面100万円でしたね。これが、たとえば80万円という割引かれた価格で売買されるわけです。こうした手形の売買を「手形の割引」といい、日常的に行なわれています。
たとえば、企業B(受取人)が1923年7月20日になって急に70万円の現金が必要になったとしましょう。でも、手元には現金はそんなにない。しかし、12月1日になったら100万円を支払ってもらえる手形が手元にある。こういう時、企業Bはその手形を売って現金を調達しようとするわけです。手形を売る相手は、銀行のような金融機関ですね。たとえば、銀行Cが企業Bから額面100万円の手形を80万円の価格で買い取ります。つまり、80万円で手形割引を行うのです。
  (1)商品     (4)資金
 企←←←←←←←企←←←←←銀
 業       業     行
 A→→→→→→→B→→→→→C
  (2)手形を渡す (3)手形を割引いてもらう
このとき、企業Aから期日の1923年12月1日に100万円を受け取る権利は、企業Bから銀行Cへ移ります。
こういう形で手形は流通していくのです。

さて、こういう状態のときに関東大震災が発生しました。銀行Cは確実に損失を被りますね。こうなると、企業Aだけでなく銀行Cも経営の危機です。

ときの内閣は第2次山本権兵衛内閣ですが、山本内閣はこういう事態の発生に対し、モラトリアム(支払猶予令)を出して代金支払い(決済)を一定期間(このときは1カ月)だけ猶予します(のち何度か延長されますが)。とともに、銀行手持ちの震災手形を日本銀行に再割引させるのです。つまり、銀行がもっている震災手形を日本銀行に買い取らせたわけです。震災手形によって生じる銀行の損失を日本銀行が穴埋めしてやったわけですね。そのことによって銀行や企業の連鎖倒産が拡大することを食い止めようとしたわけです。

> また、それにともなう1億円程度の損失を政府が補償するというのもイメージ
> できないんです。

日本銀行は震災手形を再割引した(買い取った)わけですが、この震災手形は期日通りに代金の支払いを行うことが困難な手形ですよね?ということは、日本銀行は損失を被ります。さっきの例でいえば、企業Aの振り出した額面100万円の手形は銀行Cから日本銀行に持ち込まれ、日本銀行に再割引されて、受取人は銀行Cから日本銀行に変わっています。銀行Cは80万円で買い取っていましたが、日本銀行も同額で買い取ったとしましょう(いや別に70万円でもいいんですが)。しかし、期日の12月1日に約束通り支払われる可能性は極めて低く、その手形は12月1日には不渡りとなり、日本銀行は80万円だけ損します。
震災手形割引損失補償令というのは、この日本銀行の損失を1億円まで政府が補償しましょう(公債を発行してでも資金を調達し、政府が穴埋めしましょう)というわけです。

ところが、実際には4億3000万円ほどの再割引を行っています。政府の予想を大幅に上回る震災手形が日本銀行のもとに持ち込まれたわけです。
ただ、「震災手形」なるものがもともと存在しているのではなく、銀行手持ちの手形のうち、ある条件(支払人=被災企業)に適合したものが「震災手形」と称されるだけのことですから、銀行は震災手形と称して日本銀行にさまざまな手形を持ち込み、再割引を受けたわけです。そのなかには、被災していなくても支払いが困難になる可能性の高い手形もけっこう混入していたのです。
日本経済は第一次世界大戦期の好況(大戦景気)のなかで膨張しすぎていましたから、戦後恐慌以降、経営状態が極度に悪化した企業が中小を中心として多数存在していました。そんな企業は期日に代金を支払うために取引き銀行から資金を借りる、という状態を繰り返すことになりますから、被災しなくても不渡りになる可能性があり、そして関東大震災で被災したとしたら、いくら支払いを一定期間猶予した(さらに何度も猶予期間を延長した)としても、こうした企業を支払人とする手形は決済される見込みがありません。つまり、こうした震災手形は潜在的な不良債権ですね。
実際、1926年末になっても2億円程度、未決済のままになっている震災手形が残っていました。潜在的な不良債権が震災手形として持ち込まれ、本当に不良債権になってしまった、というわけです。
ですから、日本銀行による震災手形の再割引は、戦後恐慌以降に生じていた潜在的な不良債権が表面化するのを隠蔽し、不良債権処理を先送りするという効果をもったわけです。
[2004.11.13→2004.11.22修正]