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礎石を採用した建築の普及

 6世紀末,飛鳥の地に日本で最初の本格的な寺院・飛鳥寺が完成しました。屋根は瓦葺き,柱は朱色,壁は白色の漆喰という,色あざやかな建物でした。周辺には農村と田んぼが広がり,大王の宮廷も含め,当時の建物は草葺きや板葺きでしたから,際立った異国風のものとして浮かび上がっていたことでしょう。当時の人びとに大きな感動と驚き,そして威圧感を与えたに違いありません。
 古くから営まれてきた草葺きや板葺きの建物が,柱を地面にあけた穴にいれて固定する掘立柱式であったに対し,飛鳥寺のように,瓦葺きの重い屋根を支えるのに採用されたのが礎石でした。しかし,礎石の上に柱を据え置くにすぎないのですから,地震や台風によって倒壊する危険性はなかったのでしょうか。そのため,太い柱の低い重心と瓦屋根の重量で安定させたり,柱上の屋根との接点に複雑な組物を置いて横からの力を分散させ,バランスを保つことによって耐震性を確保していました。
 7世紀末以降,律令制度が整い,藤原京や平城京のような大陸にならった都城が建設されますが,日常生活にかかわる建物は,古くからの掘立柱を使ったものが中心でした。天皇の居処である内裏を始め,貴族の邸宅は掘立柱建物でしたし,一般庶民の住居としても竪穴住居に代わって掘立柱住居が次第に普及していきました。
 礎石を使った建物が採用されたのは,都では宮城の門や政府の官庁・寺院,地方では大宰府や多賀城の殿舎などで,平城宮跡や大宰府政庁跡には,当時の規模をしのばせる礎石が残っています。さらに奈良時代半ば以降になると,各地の国府の官舎も,国分寺の造営などをきっかけとして,次第に礎石を使った瓦葺きの建物へと変貌していきます。つまり,国家の威信・威厳を誇示する施設において礎石が用いられ,瓦葺きで朱塗りの柱,白壁という異国風の装いがこらされていたのです。
[2008.12.05登録]