[テーマ/目次] 

聖徳太子は実在しなかった!?

 聖徳太子といえば,ある程度の年齢の人なら旧1万円札・5千円札でおなじみだし,若い人にとっても小学校以来,くりかえし学習してきた人物でしょう。最初の女帝推古天皇が即位すると同時に皇太子となり,憲法十七条をみずから制定するなど政治を主導したとされ,そのうえ,生まれてすぐ言葉を発したとか,成人してからは10人の訴えを一度に聞くことができたなど,あれやこれやと聖人扱いされています。
 しかし実は,最古の歴史書『古事記』『日本書紀』には聖徳太子という呼び名は登場しません。旧1万円札など紙幣の肖像に採用された聖徳太子像も奈良時代ごろに描かれたもので,冠をかぶって笏をもっていますが,飛鳥時代の服装ではありません。さらに,皇太子になったとされているものの,その制度は7世紀末,持統天皇のころに成立したもので,推古天皇のころにはまだ存在しません。
 果たして聖徳太子が実在したのか,怪しい限りです。
 結局のところ,厩戸王(皇子)という有力な王族を素材として,奈良時代初め,『日本書紀』編纂のなかで藤原不比等や長屋王,僧道慈らによって創作されたのが,私たちがよく知っている聖徳太子なのです。そのうえ,少し後の天平年間,光明皇后の庇護のもとで僧行信が法隆寺東院を建立したころ,聖徳太子は信仰の対象とされるようになります。聖徳太子が著わしたとされる「三経義疏」など,太子遺愛の品がどこからか探し集められたのもこの頃のことでした。そして,平安時代中期には救世観音の化身説まで登場し,仏神のように崇められていくのです。
 ちなみに,厩の戸の前で生まれたとの出生伝説には,イエス・キリスト誕生譚が影響していると指摘する研究者もいます。唐の長安にはキリスト教の一派である景教(ネストリウス派)が伝えられていましたから,その可能性もないわけではないですね。
[200811.09登録]