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年度 2007年

設問番号 第1問


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【解答例】
1それまでの農業集落は荘園・郷保など支配単位ごとに形成され,名主だけを構成員とし,在地支配権をもたなかった。それに対して惣村は,名主だけでなく新興の小百姓も含めて百姓が全体としてまとまり,自検断を行うなど在地支配権を掌握し,ときには荘園・郷保など領主支配の枠をこえて周辺の村々と結びついた。
2太閤検地が村ごとに実施され,村を単位として検地帳が作成されたことにより村の境界が確定した。さらに,一地一作人の原則により土地を所持・耕作する百姓が一人に確定されたため,土地に対する重層的な権利関係が整理され,地侍などの作合が否定され,村の構成員が比較的に均質となった。
3村請制。中世の惣村ですでに,領主に対する年貢納入を惣村全体で請け負う百姓請が行われており,近世でもそれが継承された。検地によって確定された村全体の石高である村高を対象として年貢が賦課され,村役人の責任のもと,村全体で年貢が納入された。
(総計398字)
【解法の手がかり】
問1
問われているのは,惣村がそれまでの農業集落と異なる点を3点あげること。鎌倉時代の集落と対比すればよいのだが,鎌倉時代についてはあまり意識化できていないのではないだろうか。
注目するのは,(1)構成員,(2)地域に対する支配力(土地支配や警察・裁判など),(3)荘園・公領(郷保)との関係,の3点である。
  鎌倉時代の集落 惣村
(1) ごく一部の名主だけのまとまり 新興の小百姓を含めて百姓が全体としてまとまる
(2) 警察・裁判権などは領主が握る 自検断権を行使するなど自治を行う
(3) 荘園・公領(郷保)の枠内 荘園・公領(郷保)の枠をこえて周辺の村々と結びつく傾向

問2
問われているのは,惣村が太閤検地によって変容した点を2点あげること。
太閤検地のポイントは,(1)村を単位として実施,(2)石高制の採用,(3)一地一作人の原則,の3点であり,これらを念頭におきながら「変容」を考える。
(1)に関連して「村切り」を知っていれば,変容した点を1つあげるのは平易であるが,一般的には難しいだろう。もう1つは,(3)に関連して惣村の指導層である地侍への影響を想起できればよい。
類題:1998年一橋第1問

問3
問われているのは,村請制の名称と内容,そして中世の惣村における年貢収納の仕組みとの関係。問1・2が意外と難しい設問だけに,ここで丁寧に表現して字数を確保しておきたい。