年度 2008年
設問番号 第3問
(1)呼称と内容
資料1は日中共同声明で,中華人民共和国との戦争状態を終結させ,国交を正常化させたもの。
(2)締結を促した国際情勢
1つが,米中接近,もう少し具体的に言えば,ニクソン米大統領の訪中であることは問題ないだろう。アメリカの中国接近とは,ヴェトナム戦争からの名誉ある撤退(国際信用を低下させない形でのヴェトナム和平)を実現させようとしたアメリカの意図に基づくものであった。
問題はもう1つである。中ソ対立をあげることができるかもしれない(問題ではとりあげられていないが第七項として覇権条項が採用されている)。しかし,中ソ対立は1960年代初頭から始まっており,「声明締結を促した」と形容するには,時期的に離れすぎている。と考えれば,1971年,台湾(中華民国)に代わって中国(中華人民共和国)が国連代表権を獲得したことをあげるのがよい(実教『日本史B』p.359や山川『詳説日本史』p.376を参照のこと)。
問2 類題:1995年第3問
問われているのは,(1)資料1の第三項で取り決められた内容,(2)この条項に付随して変更されることとなった台湾との外交関係。
(1)資料1の三で取り決められた内容。
資料は「中華人民共和国政府は,台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は,この中華人民共和国政府の立場を十分理解し,尊重し,ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」というもので,これを要約して答案に書き込みたくなる(台湾が中国の領土の一部であることなど)。しかし,なるべくなら避けたいところ。
そこで考えたいのは,なぜ「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する」というような事態が生じていたか,である。
台湾には,中国内戦で敗れた国民政府(中華民国)が拠っていたことは知っているはずである。国民政府は中国の正統な政府であることを主張しており,長らく国連代表権も持っていた。
こうした台湾が中華人民共和国の領土の一部であることを認める(十分理解し尊重する)内容がもり込まれたということは,台湾の国民政府が地方政権ですらないことを日本も了解したということを意味する。
(2)この条項に付随する変更
台湾の国民政府との国交が断絶し,日華平和条約は終了した。
問3
問われているのは,資料2の考え方に基づいて田中角栄内閣がとった政策とその内容。
政策=列島改造政策
太平洋ベルト地帯に集中した産業を地方へ分散させ,それらを新幹線と高速道路で結ぼうという公共土木事業を中心とした経済成長促進政策である。資料2で「過密と過疎の弊害の同時解消」,「都市集中の奔流を大胆に転換」と書かれている通りである。
問4
問われているのは,(1)列島改造政策が日本経済にもたらした影響。ただし,「内閣が考えたのとは異なる重大な影響」が問われている。そして,条件として,列島改造政策との関連も説明することが求められている。
もう一つ問われているのが,(2)その経済的影響を加速した世界的な出来事,そして,その出来事が経済的影響を加速した理由。
(1)について。
列島改造政策がもたらしたのは,激しいインフレである。なかでも地価が高騰した。それは,新幹線や高速道路の建設計画に刺激されて土地投機が生じたためであった。
(2)について。
石油危機(第1次)である。これは,第4次中東戦争にともない,アラブ産油国が原油価格を大幅に引上げたことをきっかけとして生じたものだが,日本経済はエネルギー資源を石油に依存し,その石油の大半を中東からの輸入によってまかなっていたため,石油関連製品を中心として物価が高騰した。
この状況を,当時の蔵相福田赳夫が物価狂乱(狂乱物価)と称した。