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年度 2014年

設問番号 第3問


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【解答例】
1天皇機関説は,国家法人説に基づいて統治権の主体を国家とみなし,天皇は国家の最高機関であり,天皇の権限は憲法により規定,制限されると解釈する憲法学説であり,統治権の主体を天皇とする天皇主権説との間で論争が行われた。
2岡田啓介。
3京都帝国大学教授で刑法学者の滝川幸辰が斎藤実内閣の鳩山一郎文相の圧力によって休職処分を受けたのに対し,法学部教授会が抵抗したものの敗北した。
41870年代,政府は学制を定めて近代的な教育制度の導入を図り,一方,唯一の官立大学として東京大学を設けた。1880年代,森有礼文相のもと,学校令を定めて小学校から帝国大学にいたる近代的な教育制度を整え,東京大学を帝国大学へ改組した。帝国大学はのち,1930年代にかけて各地に増設されて9帝大となった。大学は当初,こうした官立の総合大学である帝国大学に限られたのに対し,1910年代末に大学令が出され,単科大学や公立・私立大学の設立が認可された。
(総計400字)


【解法の手がかり】

問1
問われているのは,天皇機関説を説明することで,条件として文中にある憲法論争にも触れることが求められている。
憲法論争については,リード文中には「1910年代の憲法論争」とあるので,美濃部達吉が『憲法講話』(1912)を発刊したことをきっかけとする上杉慎吉との論争を説明すればよい。
○天皇機関説
国家法人説に基づく
統治権の主体を国家とする
天皇は国家が統治権を行使する際の最高機関と解釈

天皇の権限=憲法により規定された権能で,憲法により制限を受ける
○憲法論争
上杉慎吉と論争
上杉慎吉:天皇主権説にたつ(統治権は天皇に帰属→天皇の権限=神権的な無制限なもの)

問2
問われているのは,国体明徴声明を出した政府の首相。岡田啓介。

問3
問われているのは,天皇機関説問題に先だって起きた大学の学問自治が侵害された事件の内容。
事件は滝川事件。
京都帝国大学教授で刑法学者の滝川幸辰が斎藤実内閣の鳩山一郎文相の圧力によって休職処分を受けたのに対し,法学部教授会が抗議し,抵抗した(教官全員が辞表を提出)ものの阻止できなかった。

問4
問われているのは,学制以降,1930年代までの日本の大学の歴史。条件として,教育制度の変遷をふまえること,4つの語句を含めることが求められている。
条件に即せば「教育制度の変遷」を説明しながら,そのなかで大学の歴史を説明するという構成をとればよい。
まず,教育制度の変遷から。
○1870年代=明治初め
学制により欧米諸国にならった教育制度の導入が図られる(具体的にはフランス式)→画一的な制度であったため成功せず・試行錯誤
○1880年代=立憲体制の形成期
学校令(帝国大学令・師範学校令・中学校令・小学校令)により近代的な教育制度を体系的に整備
○1900年代=日露戦争前後
尋常小学校から中学校,高等学校,帝国大学にいたる立身出世の高等教育のモデルコース,中学校から専門学校にいく,より簡易な高等教育コース,一般的な国民のたどる教育コース(尋常小学校で終える,プラスして高等小学校や中学校,実業学校へ行く),といった複線的な教育制度が確立。
ただし,このデータは,山川『新日本史』くらいにしか出てこない。
次に,大学の歴史。
○1870年代=明治初め
学制は全国を大・中・小学区に分割してそれぞれに大・中・小学校を設置するという政策であるが,この内容まで覚えている受験生はなかなか少ないだろう。その場合は無視すればよい。
この時期の「大学」といえば,1877年に東京大学が設立されたことを知っているはずで,これが書ければ十分。
○1880年代=立憲体制の形成期
学校令(厳密には帝国大学令)にともない,東京大学が帝国大学に改組される。
○1910年代=第一次世界大戦期
大学令により,総合大学である帝国大学に加え,単科大学,公立・私立大学を大学として認可。
これくらいが一般的な知識だろう。しかし,設問では1930年代までが対象である。
どう補うか。高校教科書には具体的な年代が書かれていないものの,帝国大学は日清戦争後に京都に増設されて以降,昭和初期にいたるまで東北・九州・北海道・大阪・名古屋・京城(朝鮮)・台北(台湾)にも設立されたことが記述されている。これが1930年代までの事項だと推測して答案に書き込むのが一つの方法であり,実際,最後の帝国大学である名古屋大学は1939年に創設された。
もう一つには,問3と重複することをいとわず,滝川事件だけでなく矢内原事件,河合事件など大学での学問の自由が奪われたことを書いておくという対処法がある。反則技かもしれないが。