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年度 2017年

設問番号 第2問


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【解答例】
1新婦人協会。市川房枝。
2学制。1872年。
3家庭婦人は家事や家業に従事した女性をさす。職業婦人は企業で働く女性をさし,日清・日露戦争前後は繊維工業で働く出稼ぎの女工が中心であったが,第1次世界大戦期以降,工業生産が拡大し都市化が進むと,女性の職域が広がり,タイピストや電話交換手などの事務職,接客・サービス業などに従事する女性が増えた。
4大日本帝国憲法とともに制定された衆議院議員選挙法では,直接国税15円以上納入の満25歳以上の男性に限られた。納税資格は第2次山県内閣,次いで原内閣により引下げられ,護憲三派内閣のもとで撤廃された。しかし女性の参政権は実現しなかったため,婦人参政権獲得期成同盟会は婦選獲得同盟と改称して運動を展開したが,日中戦争以降,翼賛体制下に組み込まれて抑圧された。敗戦とともに運動が再開し,GHQの指令のもと,幣原内閣により婦人参政権が実現し,年令は男女とも満20歳以上とされた。
(総計399字)


【解法の手がかり】
問3
「家庭婦人」と「職業婦人」は,史料の中で対比的に並列されている。この点に注目すれば,両者を対比しながら内容を考えるとよい。
まず「職業婦人」から。狭義には,オフィスビルに勤めてタイピストや電話交換手など事務職に従事したり,接客・サービス業に従事した女性をさすが,「家庭婦人」との対比を意識すれば,企業に勤務し働く女性一般をさす言葉として使われていると判断できる。つまり,日清・日露戦争前後に展開した産業革命のなか,繊維工業では貧農の子女が出稼ぎの形で働いていたが,第1次世界大戦にともなう経済成長(大戦景気)以降,工業生産が拡大して都市化が進展するなかで流通・小売など第3次産業が成長し,女性が就業する職域・職種が広がった。そうして,オフィスビルに勤めてタイピストや電話交換手などの事務職を務めたり,バスの車掌など接客・サービス業などに従事したりする女性が増えた。
一方,「家庭婦人」はこの史料では,「職業婦人」と対比的に表現されているのだから,企業で働く女性を除く,それ以外の女性をさす。この対比のなかで考えれば,家庭で家事や家業(農業や自営業など)に従事する女性をさすと考えることができる。必ずしも専業主婦ばかりとは限らないので注意したい。
なお、「法律上国家の一員たるべく」との表現に注目し、家制度を定めた民法にも言及すべきかどうか、悩んだ受験生がいるかもしれない。分からなくはないが、企業で働く女性にしても家庭においては家制度から自由ではなく、民法云々は家庭婦人だけでなく職業婦人にも共通する。この点を考慮すれば、書く必要はないだろう。
問4
「同性間および異性間の差異に注目」するとの条件がついているので,日本内地と沖縄・北海道,朝鮮・台湾などの植民地といった,地域間の差異については説明する必要はない。
1889年,大日本帝国憲法とともに制定された衆議院議員選挙法では,選挙資格は直接国税15円以上納入の満25歳以上男子。これ以降,「同性間」での変化は,まず納税資格の変化である。第2次山県内閣により10円以上,原内閣により3円以上に引下げられたのち,護憲三派内閣によって1925年,納税資格が撤廃されて男子普通選挙が実現した。次に年令は敗戦後,1945年に満20歳以上へと引下げられた。
婦人参政権が認められるまでの運動については,婦人参政権獲得期成同盟会の結成以降,ほぼ知識がないかもしれない。男子普通選挙の実現にともなって1925年,婦選獲得同盟へ改称している。この組織の活動をうけ,婦人参政権を条件付きで認める婦人公民権案が1930年と翌31年の2度にわたって衆議院を通過したものの貴族院の反対にあって廃案となっている。この後,労働運動と同じように,日中戦争開始とともに国民精神総動員運動のもとに動員され,1940年には新体制運動が展開するなかで解散し,日中戦争遂行に対する翼賛体制のもとにくみ込まれた。敗戦とともに運動が再開され,GHQの指令もあって幣原内閣により選挙法が改正されて婦人参政権が実現した。