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年度 1982年

設問番号 第3問


次の文章を読んで、下記の問い(ア)〜(エ)に答えよ。(300字以内)

 1927(昭和2)年の金融恐慌は、近代日本における最大の金融史的事件であった。金融恐慌は、若槻礼次郎の憲政会内閣の蔵相片岡直温の第52帝国議会における失言をきっかけに始まったが、その遠因は(ア)1920(大正9)年の戦後反動恐慌以来の日本経済の変則的状態そのものにあったといえる。金融恐慌は(イ)1927年4月にピークを迎え、金融界は大混乱に陥った。その渦中で、若槻内閣が総辞職したあと、田中義一の政友会内閣が成立した。(ウ)田中内閣は強力な手段によって金融恐慌を鎮静させたあと、(エ)前内閣と対照的な対中外交を展開していった

(ア) 1920年恐慌と関東大震災とによる経済界の混乱に対して、ときの政府はどのような対策を講じたか、具体的に記せ。また、その対策がのちの金融恐慌の原因となったことは否定できない。その理由を簡潔に記せ。
(イ) 次の文章の    内を埋めよ。

 1927年4月17日、若槻内閣の提出した(1)    が枢密院で否決されると、金融界は大混乱に陥り、(2)    、(3)    などの銀行や会社が破綻した。

(ウ) 金融恐慌を鎮静するにあたって田中内閣はどのような対策を講じたか。その対策を二つ記せ。またその時の大蔵大臣の氏名を記せ。
(エ) 1927〜28年における中国の政治情勢を念頭におきながら、田中内閣の対中国政策を具体的に記せ。