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年度 2025年  設問番号 第4問(1)

テーマ 平城京の特徴/古代

発問の類型 特徴


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【解答例】
藤原京は,遣唐使の派遣が中断していた天武・持統天皇の時代に奈良盆地南部に建設され,中国の古典にならった理想型の都城で,中心部に宮城が設けられた。それに対して平城京は,大宝律令制定後に派遣の再開された遣唐使が唐の都長安の実態を伝えたことをうけ,元明天皇のもとで奈良盆地北部に建設され,実際の都城にならったプランを採用した。宮城は標高の高い北部中央に置かれ,京域には東部に張り出し部分が新たに設けられた。(200字)
(別解)
藤原京は奈良盆地の南部に建設され,中国の古典にならった理想型の都城で,中心部に宮城が設けられた。それに対して平城京は奈良盆地の北部に建設され,藤原京での大宝律令制定後に派遣された遣唐使が唐の都長安の実態を伝えたことをうけ,中国の実際の都城にならったプランを採用した。宮城は標高の高い北辺に置かれ,官僚制の充実による官衙の拡大にともなって領域が広くなった。京域には東部に張り出し部分が新たに設けられた。(200字)
(別解:短いバージョン)
藤原京は奈良盆地南部に建設され,中国の古典にならった理想型の都城で,中心部に宮城が設けられた。それに対して平城京は,大宝律令制定後に派遣が再開された遣唐使が唐の都長安を実際にみてきたことをうけ,奈良盆地北部に建設され,中国の実際の都城にならったプランを採用した。宮城は標高の高い北辺に置かれ,京域には東部に張り出し部分が新たに設けられた。(169字)
(別解:特徴とともに内容も説明したもの。おそらくこれが最も現実的)
平城京は,大宝律令制定にともなって派遣された遣唐使が唐の都長安の実態を伝えたことをうけ,長安にならう形で建設された。藤原京が宮城を中心部に設けたのに対して標高の高い北辺に宮城を置き,東部に張りだし部分が設けられた。宮城は天皇の住居である内裏,政務や儀礼を行う大極殿・朝堂院などが設けられ,官僚制の充実にともなって官衙が拡大したため領域が広くなった。京には藤原京から寺院,貴族・官人らの邸宅が移転した。(200字)