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年度 2005年

設問番号 第3問

テーマ 江戸時代の軍事動員制度/近世


問題をみる
問われているのは,「このような」統一基準をもった軍事動員を可能にした制度について説明すること。条件として,江戸時代の支配の仕組みに触れることが求められている。

まず,資料文の内容を確認しておこう。
(1)→江戸幕府の軍事力は,直参と「大名から差し出される兵力」で構成された。
(2)→動員する軍勢の基準=知行高に応じ,大名の差し出す兵馬の数量が決められている
(3)→村々から百姓を夫役(陣夫役)として徴発=村高に応じて夫役の人数が決められている

次に確認しなければならないのは,以上のことがら(資料文)のどこに軍事動員についての「統一基準」が示されているのか,である。「動員」「基準」との表現が用いられているのは資料文(2)だけなのだが,では,設問でいう「このような統一基準をもった軍事動員」とは資料文(1)(2)をうけた表現なのか? だとすれば,資料文(3)は一体どのような意味をもつのか?
資料文(3)を含めて「統一基準をもった軍事動員」を考えることができたかどうか,それがこの問題の最大のポイントである。いいかえれば,陣夫役(兵糧や物資輸送などのために徴発された夫役)も,一種の軍事動員だと判断できたかどうかが,ポイントなのである。
では,「統一基準」とは何か? 資料文(2)では大名から軍勢を動員する際の基準,資料文(3)では村々から陣夫役を徴発する際の基準がそれぞれ説明されているのだから,この基準に「統一性」をみつけなければならないし,それが判断できれば,その「統一性」を明確に表現しなければならない。これが第2のポイントである。
資料文では知行高((2)),村高((3))と異なった表現が用いられているものの,単位(石)をみればわかるように,それらは石高である。知行高は大名(武士)が知行を保障された石高であり,村高は百姓が所持を保障された田畑・屋敷地の石高の村全体の総計である。つまり,「統一基準」とは石高であり,そのことを何らかの形で答案のなかに表現することが不可欠である。もし知行高,村高という資料文中に含まれる表現のみを使い,それぞれが石高であることを表現していないのであれば,その答案は単に資料文を抜粋しただけにすぎず,相当低い得点しか得られないものと覚悟したほうがよい。

さて,石高制について確認しよう。
石高制とは土地の生産力を米量で統一的に表示したものだが,石高は,検地を通じて反あたりの米の標準生産高を見積もり(石盛),それに面積を乗ずることで算出された。
検地に際しては,石盛・石高の算出とともに田畑・屋敷地に対して権利をもつ百姓をひとりに確定する作業が行われたが,その結果,石高は(検地帳に登録された)百姓に対して土地所持を保障する基準とされるとともに,年貢などを賦課する基準とされた。同時に,中世の複雑な権利関係が整理されて年貢収取権をもつ領主もひとりに定められ,石高は領主に対して知行を給付・保障し,軍役などを賦課する基準ともされた。
つまり,武士による百姓支配と武士どうしの主従関係を統一的に把握する基礎となったのが石高制だったのである。
類題として,一橋大・1996年第1問(問3)がある。

なお,所属している集団ごとに固有の役(義務)を果たしているという視覚からの別解も作成しておきました。


(解答例)
江戸時代は,土地の生産力を米量で統一的に表示する石高制を基盤とし,武士間の主従関係と武士による百姓支配が石高という基準のもとで統一的に把握された。武士は主君から石高の知行を保証され,石高にみあった軍役を負担し,百姓は検地により田畑・屋敷地の所持を保証され,石高に応じた年貢や陣夫役を村ごとに負担した。(150字)
(別解)江戸時代は全国の土地の生産力を米量で統一的に表示する石高制を基盤とし,人びとは所属する身分集団ごとに固有の義務を石高に応じて負担していた。武士は主従制のもと,主君から知行として給付された石高を基準に,軍役を負担して兵力を提供し,百姓は検地によって確定された村ごとの石高に応じ,年貢や陣夫役を負担した。(150字)