過去問リストに戻る

年度 2014年

設問番号 第4問

テーマ 明治憲法と立憲主義/近代


問題をみる


問われているのは,民権派が憲法発布を祝ったのはなぜか。
設問文では,「その内容に関して公開の場で議論することのない欽定憲法という形式で制定された」にもかかわらず,と書かれているので,憲法とは一般的にどのような内容を規定するものなのか,大日本帝国憲法はそれと比してどのように評価できるのか,を確認することからアプローチするとよい。

憲法とはもともと,多様な価値観・世界観をもつ人びとが公平なかたちで共存できる社会をつくるため,近代西欧で生み出された法的な枠組みであり,そのもとでは,個人の自由と権利が保障されること,そのために国家機構が機能に応じて分割され権力の分立が定められていることが不可欠な要素とされる。もちろん,このような一般的な説明は思いつかないものかもしれないが,2005年第4問のなかで引かれていた「憲法はその内容の主なるものとして,(a)人民権利の保障,(b)三権分立主義,(c)民選議院制度の三種の規定を含むものでなければならぬ」という吉野作造の言葉を想起したい。 したがって,
①人民の権利・自由の保障
②三権分立(権力分立)
③公選制議会
の3点を判断ポイントとして大日本帝国憲法を考えてみたい。
民権派が憲法発布を祝ったことを考えれば,これらの判断ポイントからみて(近代的な)憲法と評価できるわけである。
具体的には
①法律の範囲内で所有権の不可侵,言論・出版・集会・結社などの自由を認めている。
②天皇が統治権を総攬して三権すべてを親裁する構造をとり,行政府の権限が大きいものの,帝国議会,裁判所が行政から独立してそれぞれ立法,司法を担い,実質的に三権分立(権力分立)を定めている。
③帝国議会を構成する2院のうち,衆議院は公選制である。

ここで,もう一度リード文に戻ってみよう。そこには,『土陽新聞』の論説のなかの「ああ憲法よ,汝すでに生まれたり。吾これを祝す。すでに汝の生まれたるを祝すれば,随ってまた,汝の成長するを祈らざるべからず」という文章が引用されている。
ここまでに確認したのは,「汝すでに生まれたり。吾これを祝す」という部分にあたる。大日本帝国憲法も欧米と同様の憲法と評価できる,という判断である。しかし,引用箇所は「すでに汝の生まれたるを祝すれば,随ってまた,汝の成長するを祈らざるべからず」と続いている。ここには,憲法の運用によって民権派が考えている理想的な政治体制へ近づけることができる,との判断・期待が示されている。だからこそ,設問文に「その内容に関して公開の場で議論することのない欽定憲法という形式で制定された」「にもかかわらず」と表現されたのだと判断できる。
そこで,民権派が大日本帝国憲法(の内容)に何を期待したのか,確認しておこう。
民権派がそれまで主張・要求してきた内容は,上記の3つの判断ポイントに即せば,次のように整理することができる。
①→言論・集会の自由,あるいは,個人の自由や権利の保障
②→有司専制(政府官僚の専断)の弊害への批判
③→公議(天下の公論)に基づく政治の実現,あるいは,予算・法律の審議を通じた人民の国政参加の実現

なお,「アジアではじめての近代的立憲国家となった」(山川『詳説日本史』)ことについてである。
問題は「アジアではじめて」という部分を書くのかどうかである。この表現には「アジアの先覚者」意識が反映されており,その点に触れないのであれば「アジア初の」と書き込んだところで意味はない。


問われているのは,「7月の論説のような主張」がなされた根拠。

「7月の論説のような主張」とは,「新聞紙条例,出版条例,集会条例を改正し,保安条例を廃止すべきである」との主張である。言論・出版・集会・結社の自由や居住・移転の自由に関わる。
大日本帝国憲法では,言論・集会の自由など個人の自由と権利は「法律ノ範囲内ニ於テ」保障されるものでしかなかった。この規定によれば,言論・集会などの自由が法律の範囲内に制限されたと解釈できるのだから,言論・集会などの自由を法律で制限することそのものは憲法違反とは言えない。
ところが,民権派(とりわけ植木枝盛)が依拠していた天賦人権論を念頭におくならば,個人と自由の権利を保障するのが憲法・国家の本来的な役割なわけだから,これらの自由・権利に対する侵害が批判の対象となるのは当然のことであり,それらの自由を保障する役割を果たすのが法律案の審議に関わる帝国議会の役割である(あるいは,立法に携わる天皇と帝国議会の役割)との判断を導き出す根拠ともなりえる。したがって,議会開設に先立ち,新聞紙条例や出版条例,集会条例,保安条例といった,個人の自由・権利を制限する法律の改正・廃止を主張したのである。

ところで,新聞紙条例,出版条例,集会条例は改正を求め,保安条例は廃止を主張したのはなぜか。
前3者は,言論・集会・結社に規制を加えた弾圧立法だが,一方で,新聞などの出版,政治集会や結社などの制度的な枠組みを整える法令でもあった。ところが後者は,三大事件建白運動に対する弾圧立法でしかない。
こうした点が扱いの違いに現れたと考えることができる。


(解答例)
A大日本帝国憲法は権力分立を定め,人民の権利と自由を保障し,法律・予算案の審議にあたる公選制の衆議院を設けており,政府官僚の専断を抑制し,公議に基づく政治を実現させる展望が開けた。(90字)
B民権派は天賦人権論に依拠し,言論・集会など人民の自由を保障するのが法律の審議に関わる議会,ひいては憲法の役割と考えた。(60字)
(別解)B言論・集会・居住などの自由は法律の範囲内と定められており,それを保障するのが法律の審議に関わる帝国議会の役割と考えた。(60字)


【添削例】

≪最初の答案≫

A大日本帝国憲法は,公選制の衆議院による議会政治を実現し,法律案や予算案が議会での審議を経て決定されたので,世論を反映した政治を可能にした。また三権分立により有司専制が抑制された。

B法律の範囲内で言論・出版・集会の自由が認められており,議会での審議によって弾圧法が改正・廃止されるべきだと主張した。

Aについて。
有司専制は,三権分立が規定されただけでは抑制されません。運用のなかで抑制される可能性が示されただけのことです。その区別をつけておきたい。
ところで,「祝す」と「成長するを祈る」との違いをどこまで意識しましたか?

次に,有司専制の抑制は,公選制の衆議院が国政に発言権を有したことによっても抑制される可能性が示されたのではないですか?
ところが君の答案だと,そのつながりが表現できていません。

そして,法律の範囲内であれ言論・集会の自由が保障されたことは,民権派の主張が部分的であれ実現したわけですから,「祝す」要因と考えることはできませんか?

Bについて。
「法律の範囲内」で認められたら,どうして「議会での審議によって」改正・廃止されるべきだということになるのでしょうか。議会での審議によって追認してもよいのではありませんか?
そもそも民権派が新聞紙条例などを改正し,保安条例を廃止すべきと主張した思想的な根拠は何なのでしょうか?

≪書き直し≫

A大日本帝国憲法は,三権分立を定め法律の範囲内で国民の権利を保障し,公選の衆議院を設置するなど有司専制が抑制され,議会での審議を通じて国政に参与できることを民権派は期待した。

B天賦人権論に基づき,言論・出版・集会の自由を保障することが議会や憲法の果たすべき役割ととらえた。

> A
> 有司専制の抑制を後半に移動しました。三権分立と衆議院の設置の両方が有司専制の抑制につながった、としました。
> また、「祝す」と「成長するを祈る」については、民権派が、国政への参与を期待した、と考えました。
> B
> 民権派が依拠した思想は「天賦人権論」と考えました。国民の権利の保障が憲法や議会の役割だと考えたから、ということを理由と考えました。

Aについて。
期待することがらは,憲法の規定だけでは必ずしも実現できていないけれども,憲法の運用によって実現が可能だと思われることがらではありませんか。
だとすると,「議会での審議を通じて国政に参与できること」は,期待するものではなく,憲法によって実現するものです。
一方,「有司専制が抑制され」ることは,憲法制定にあたっての藩閥勢力の意図からすれば,憲法によって実現するものではなく,民権派が期待するものではありませんか。

Bについて。
「言論・出版・集会の自由を保障することが議会や憲法の果たすべき役割」との表現についてです。
言論・出版・集会の自由を保障することは天賦人権論からすれば当然のことですが,
理念としての憲法はともかく,現実の大日本帝国憲法は天賦人権論の立場には立っていません。
あくまでも「法律の範囲内」での保障です。
ですから,「天賦人権論に基づいて……憲法の果たすべき役割ととらえた」というのは,やや飛躍がありませんか。
ところで,このような大日本帝国憲法での規定のなかに,言論・出版・集会の自由を保障するのが議会の役割であると主張する根拠が含まれていませんか。考えてみてください。

なお,保安条例の廃止が含まれていますから,「言論・出版・集会の自由」ではなく,少なくとも「言論・出版・集会などの自由」と表現しておかないと不十分です。ちなみに,保安条例は居住・移転の自由を制限したものです。

≪書き直し2回目≫

A大日本帝国憲法は,三権分立を定め法律の範囲内で国民の権利を保障し公選の衆議院を設置した。議会での審議を通じた国政への参与が可能となり,有司専制が抑制されることを民権派は期待した。

B言論・出版・集会などの自由は法律の範囲内で認められたので,法律の審議を行う議会が自由を保障すべきだと考えた。

> A
> 期待する事柄と、実現した事柄を入れ替えました。
>
> B
> 自由を保障するのが議会の役割である根拠は、議会での審議によって法律が決定されるから、ということでしょうか。

Aについて。
「議会での審議を通じた国政への参与が可能となり」とあるのですが,だとすると,有司専制の抑制が実現すると期待したのは公選の衆議院が設置されたからだけなのですか?
文を2つに区切ったことでかえって両者の関連がわかりにくくなってしまっています。

Bについて。
> 自由を保障するのが議会の役割である根拠は、議会での審議によって法律が決定されるから、ということでしょうか。
その通りです。
ただし、自由を保障する役割をになうのが憲法で立法の協賛機関とされた議会だとしても,自由を保障すべきだと考える根拠は天賦人権論ですよ。両方に言及したい。

なお,
「言論・出版・集会などの自由は法律の範囲内で認められた」との表現ではAの答案と同じです。
Aで「法律の範囲内」と表現するのなら,Bでは「法律でしか制限できない」と表現するなど,AとBとで表現を変えておきたいところです。
もちろん,Aでは「制限付きではあるものの」と表現し,Bで「法律の範囲内」との表現を使うという対応もありですが。

≪書き直し3回目≫

A大日本帝国憲法は,三権分立を定め法律の範囲内で国民の権利を保障し公選の衆議院を設置し,議会での審議を通じた国政への参与が可能となり,民権派は有司専制の抑制を期待した。

B天賦人権論に基づき,言論・出版・集会などの自由は法律でしか制限できず,法律の審議を行う議会が自由を保障すべきと考えた。

A・Bともに書き込まれている要素は問題ないのですが,文意が適切ではありません。

まずAについて。
読点の打ち方から判断すると,
「三権分立を定め法律の範囲内で国民の権利を保障し公選の衆議院を設置し」とひとまとまりになっていますので,それらのことを根拠として「議会での審議を通じた国政への参与が可能となり」と表現しているように読めます。
この論理構成は適当ですか?

次にBについて。
「天賦人権論に基づき」の部分は,どこに係りますか?
「言論・出版・集会などの自由は法律でしか制限できず」は憲法の規定に基づく判断ですよね?係り受けを考えて構成したいところです。

≪書き直し4回目≫

A大日本帝国憲法は法律の範囲内で国民の権利を保障し公選の衆議院を設置したので議会での審議を通じた国政への参与が可能となり,三権分立を定めたので有司専制の抑制が期待された。

B言論・出版・集会などの自由は法律でしか制限できず,天賦人権論に依拠し,法律の審議を行う議会が自由を保障すべきと考えた。

Aについてです。
「法律の範囲内で国民の権利を保障し公選の衆議院を設置したので」とまとめて表現していますが,これら(権利の保障と公選制の衆議院)を根拠として「議会での審議を通じた国政への参与が可能とな」ったのですか?いいかえると,言論・出版・集会の自由といった国民の権利が保障されたことも,(誰が主体かは不明ですが)「議会での審議を通じた国政への参与が可能とな」った根拠なのですか?

そのあとに読点を打って文脈を切った上で,「三権分立を定めたので有司専制の抑制が期待された」とまとめて表現しているため,「有司専制の抑制が期待された」根拠は「三権分立を定めた」ことだけと読めます。
ということは,国民の権利が保障されたことや,「議会での審議を通じた国政への参与が可能とな」ったことは,有司専制の抑制を期待する根拠とはならないのですね?

細かいことにこだわっているように思えるかもしれませんが,句読点は意味のまとまりに即して打つものですから,句読点の打ち方によっては君が考えていることと違う内容を読み手に伝えてしまう可能性があります。僕も完璧に使いこなせているとは言えませんけれども,注意してください。

BはOKです。

≪書き直し5回目≫

A大日本帝国憲法は,法律の範囲内で国民の自由と権利を保障し,公選の衆議院を設置し,議会を通じた国政への参与が可能となり,三権分立を定め,有司専制が抑制されることが期待された。

「公選の衆議院を設置し,議会を通じた国政への参与が可能となり」の部分は,意味のまとまりがありますので,読点を打たずにまとめてしまうのが適切です。
ただし,主語をどのように設定するのかを考える必要があります。主語を意識しながら文章を構成してください。

とはいえ,とりあえずOKです。