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年度 2016年

設問番号 第4問

テーマ 近現代の経済発展と労働者の賃金動向/近代・現代


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問われているのは,1885~1899年における女性工業労働者の実質賃金の上昇が①何によってもたらされ,②どのような社会的影響を及ぼしたか。条件として,図と文章を参考にすることが求められている。

①賃金上昇がもたらされた要因
まず,この時期の女性工業労働者が主にどのような部門で働いていたかを確認する。
製糸業や綿紡績業,さらに日清戦争後に機械化が進む綿織物業など,まとめれば繊維工業である。ただし,横山源之助『日本之下層社会』からの引用で,「機織工女も,製糸工女も……非常に高い賃金を受け取っている」と説明してある点に注目すれば,製糸業と絹織物業に焦点を絞ってもよい。
次に,(実質)賃金の上昇は工業生産の拡大,企業利益の増大を背景にしていると考えれば,この時期の製糸業・絹織物業の成長に注目すればよい。その際,図1を見ると,賃金は1885年から1897年ころまでは微増,1897年以降に増加しているので,日清戦争後に特に注目して考察を進めてよい。
製糸業:器械製糸が広がる(日清戦争後に座繰製糸の生産量を上回る)とともに,最大の輸出産業としての地位を保持していた。
絹織物業:輸出向けの羽二重生産がさかんになり,力織機の導入も進んだ。
綿紡績業:機械紡績の大工場が大阪など都市部で増加し,日清戦争後には輸出産業へと成長した。
こうした繊維工業の発達とともに労働力が不足がちになり,女性労働者の賃金(名目賃金)は上昇した。
ところで,実質賃金とは名目賃金に物価動向を加味したものだから,実質賃金の上昇とは,賃金(名目賃金)の上昇が物価上昇を上回っていたことを示す。しかし,高校教科書レベルでは,この時期の物価動向は不明である。したがって,物価動向との関連については無視しておいてよい。

②社会的影響
女性労働者(特に製糸・絹織物業)の賃金が上昇するなか,『日本之下層社会』によれば,「以前ならば下女として雇われていた若い女性が,皆,工場に向か」い,したがって「下女の不足」を招く。一般化すれば,他の産業部門での女性労働者の不足が生じる。
さらに,「下女の社会的地位を高める」と指摘されている点にも注目したい。女性の労働者としての地位向上と一般化できるだろう。

なお,ここでは女性工業労働者しか対象になっていないので必ずしも一般化できないが,賃金の上昇は国内での購買力の拡大につながり,衣食住なかでも衣類=綿織物の消費需要の増大にもつながる。


問われているのは,男性工業労働者の実質賃金について,①1930年代における下降,②1960年代における急上昇が,それぞれ何によってもたらされたか。
1930年代も1960年代もともに重化学工業が成長した時期として共通点があるにも関わらず,重化学工業に多くが就労する男性工業労働者の賃金動向について違いが生じている背景は何かが問われていると言ってよい。

①1930年代について。
まず,図2から実質賃金の推移を確認する。
1930年代初めに上昇のピークがあり,それ以降,1940年に向けて一貫して下降している。
次に,この時期の経済動向を確認する。
1930年代前半(1930~33年)は昭和恐慌期で,1931年末に犬養内閣が成立して以降,低為替政策と積極財政とによって1933年には工業生産を回復し,恐慌を脱出する。このあと,1930年代半ばは経済が成長し,軍需の増大や満洲国での経済建設にともなって重化学工業中心へと産業構造が転換していった。
このなかで工業労働者における男性の占める割合が高くなっていくことは2011年第4問で取りあげられている。
ところが,重化学工業が成長する一方で,そこで働く男性工業労働者の実質賃金が低下しているという。(企業の収益は増大しているのに賃金が上昇しないという2000年前後以降の経済情勢と同じ!?)
背景は3点,考えることができる。
第一に,昭和恐慌のなかで産業合理化が進んだことである。産業合理化は,恐慌のきっかけとなった金解禁政策の目的でもあった。恐慌のなかで経済界の整理,工業の国際競争力の育成が進められ,企業の整理・統合だけでなく労働者の解雇・賃金引下げが進んでいた。
第二に,労働組合運動の後退である。昭和恐慌期に労働組合がどうなっていたかについては,ほとんど知識がないと思う。しかし,日中戦争が展開するなかで各工場で産業報国会が組織されて労働組合が解消・改組され,労働者の立場から労働条件の改善などその利益を求めることが国益優先のもとで抑制され,経営者と労働者が一体となって生産力増強をはかる体制が整えられていったことは知っているはずである(『日本史の論点』トピック49論点2)。
第三に,インフレ,とりわけ広田内閣以降の軍事インフレ(軍需インフレ)の進展である。

②1960年代について。
1960年代は高度経済成長期であり,重化学工業を中心として工業生産が飛躍的に拡大した。そのため,若年層を中心として労働者不足が生じ,一方,技術革新の進展は労働生産性を向上させた。そして経済成長の成果は,総評のもとで行われた春闘が定着したことにより,広く工業労働者(と言っても正規労働者だが)に分配されていた。
こうした要因による賃金(名目賃金)の上昇が物価上昇を上回るスピードで進んだのである。
なお,技術革新の進展にともなう労働生産性の向上については,1930年代における産業合理化のなかでも進展しているわけだから,ここでは必ずしも触れる必要はないだろう。


(解答例)
A製糸業・絹織物業が輸出増大とともに成長して労働力不足から女性労働者の賃金が上昇し,女性の労働者としての地位が向上した。(60字) (別解)A製糸業・綿紡績業など繊維工業の成長にともない女性労働力が不足して実質賃金が上昇し,女性の労働者としての地位が向上した。
B1930年代は昭和恐慌下の産業合理化,日中戦争期の産業報国会の編成により賃金が抑制されたうえ,軍事インフレにより実質賃金は下降した。1960年代は高度経済成長にともない労働者が不足したうえ,春闘を通じて成長の成果が分配され,実質賃金は急上昇した。(120字) (別解)B1930年代は昭和恐慌以降の産業合理化,日中戦争期の戦時経済統制により名目賃金が抑制されたうえ,軍事インフレのため実質賃金は下降した。1960年代は高度経済成長にともない男性労働者が不足したうえ,春闘を通じて所得分配が進み,実質賃金は急上昇した。


【添削例】

≪最初の答案≫

A製糸業,紡績業の急速な発展が女性労働者不足を招き,女性労働者の賃金が上昇し,女性の社会的地位の向上も生んだ。

B1930年代は,昭和恐慌後の産業合理化や軍事費用の増大,インフレによって実質賃金が下降した。1960年代は,高度経済成長に伴う重化学工業の急速な発展が労働力不足を招いた上に,春闘方式による労働組合運動が行われたことで実質賃金が急上昇した。

Aについて。
製糸業と紡績業に限定したのはなぜですか。資料(横山源之助の著書)を参照しましたか。

Bについて。
1930年代についてですが,「昭和恐慌後の産業合理化」と表現したのはなぜですか。
「軍事費用の増大」を要因の一つとしてあげていますが,軍事費が増大したらなぜ実質賃金が下降するのですか?

1960年代についてはOKです。

≪書き直し≫

A製糸業,紡績業など軽工業の急速な発展が女性労働者不足を招き女性労働者の賃金が上昇し,女性の社会的地位や意識も向上した。

B1930年代は,産業合理化に伴う賃金の引上げや軍事費用の増大によるインフレで実質賃金が下降した。1960年代は高度経済成長に伴う重化学工業の急速な発展が労働力不足を招いた上に,春闘方式による労働組合運動が行われたことで実質賃金が急上昇した。

> A
> 女工=繊維業と限定して考えてしましました。「軽工業」に訂正しました。
> B
> 「昭和恐慌後」は余計でした。「軍事費用の増大が実質賃金の低下を生む」というのは論理の飛躍がありました。軍事費用の増大→インフレ→実質賃金低下です。

Aについて。
先に僕が
> 製糸業と紡績業に限定したのはなぜですか。資料(横山源之助の著書)を参照しましたか。
と書いたのは,「女工=繊維業と限定」するのが不適切だという話ではありません。
そもそも君は答案のなかに「繊維工業」とは書いていませんよね。
資料のなかには
「機織工女も,製糸工女も,下女の賃金とくらべれば非常に高い賃金を受け取っている」
と書いてあるのに,製糸業と紡績業に限定したのはなぜなのか,と質問したのです。

Bについて。
「「昭和恐慌後」は余計でした。」というのは,どういうことでしょうか?産業合理化は「昭和恐慌後」ではなく「昭和恐慌のなかで」進んだのではありませんか?
軍事費についてはOKです。

≪書き直し3回目≫

A繊維工業の急速な発展が女性労働者不足を招き,女性労働者の賃金は上昇し,女性の社会的地位や意識を向上させた。

B1930年代は,昭和恐慌下の産業合理化による賃金引下げ,軍事費用増大によるインフレで実質賃金が下降した。1960年代は,高度経済成長に伴う重化学工業の急速な発展が労働力不足を招き,春闘方式の労働組合運動が行われたことで実質賃金は急上昇した。

> A
> 「機織工女」をよく読めておらず、紡績業としてしまいました。繊維工業とまとめるのは大丈夫でしょうか。
> B
> 最初に「昭和恐慌後」と書いたのは昭和恐慌の発生をとらえて「後」と書きました。しかし昭和恐慌が収まった後という誤解を生む記述だと思い二回目の時には消去しました。
> 「昭和恐慌下」と書くのは大丈夫でしょうか。

Aで「繊維工業」とまとめること、Bで「昭和恐慌下」と書くことは、それぞれ問題ありません。
A、BともにOKです。

なお、
> 最初に「昭和恐慌後」と書いたのは昭和恐慌の発生をとらえて「後」と書きました。
そうだとしたら、「昭和恐慌の発生後」と表現すべきです。
ただ高校日本史では、産業合理化が進むのは「昭和恐慌のなか」(いいかえれば井上財政期)としか出てこないので、「発生後」とは書きにくいですね。