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年度 2018年

設問番号 第4問

テーマ 内地雑居・日本国憲法の制定と教育理念/近現代


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問われているのは,日清戦争後に西園寺公望文相が資料文⑴の勅語の草稿を著した際,西園寺がどのような状況を危惧し,それにどう対処しようとしたのか。

西園寺が危惧した状況から確認していこう。
日清戦争後であることを念頭において資料文⑴を読むと,
「条約改正の結果として,相手国の臣民が来て,我が統治の下に身を任せる時期もまた目前に迫ってきた。」
との文章に注目できる。これは日英通商航海条約などの発効にともなう居留地の廃止・内地雑居の実現(1899年)を指す。
これが西園寺の危惧した状況だろうか。
いや,これは領事裁判権の撤廃などを認めた日英通商航海条約などに規定された事態であって,「危惧」されるものではない。
そこから一歩進んで,内地雑居が実現することによって起こると想定される状況を考える必要がある。
その状況を考える手がかりとなるのは,
資料文⑴の冒頭で,「朕が皇統を継ぎ,旧来の悪しき慣習を破り,知識を世界に求め,上下心を一つにして怠らない」と書かれていることであり,それを受けて,「ここに開国の国是が確立・一定して,動かすべからざるものとなった」と書かれている点である。
「旧来の悪しき慣習を破り,知識を世界に求め,上下心を一つにして怠らない」とは,五箇条の誓文にある
「一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
 一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
 一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」
とのフレーズをほぼくり返したものである。五箇条の誓文では,鎖国・攘夷を放棄すること,万国公法に基づいて開国和親の姿勢をとることが宣言されており,このことを改めて確認し直したのが資料文⑴の冒頭部分である。
このように考えてくれば,「我が臣民は,相手国の臣民に丁寧・親切に接し」,「寛容の気風を発揮しなければならない」との表現は,攘夷すなわち外国人排斥の風潮が生じることを危惧し,その抑制をはかろうと考えているものと判断できる。
それゆえ,明治維新にあたり天皇が発した五箇条の誓文を持ち出し,天皇の権威をよりどころとして開国和親の姿勢を強調し,天皇の権威に依拠してそうした風潮の抑制をはかろうとした,と推論することができる。ここを,より積極的に表現するなら,「大国としての寛容の気風」の部分を使い,欧米にならった文明国・一等国としての矜持を国民に求めようとした,と表現することができる。


問われているのは,日本政府が設けた教育関係者による委員会が準備した報告書のなかで資料文⑵のような意見が著されたにもかかわらず,新たな勅語が実現することなく,1948年6月に国会で教育勅語の排除および失効確認の決議がなされたのはなぜか。条件として,日本国憲法との関連に留意することが求められている。

まず,教育勅語が明治天皇によって発布されたものであることを念頭においておこう。明治天皇はそのなかで,儒教に基づく徳目をあげながら,天皇中心の国体観念を養うことを教育の理念として臣民に示していた。また,資料文⑵では,昭和天皇が「国民教育の新方針並びに国民の精神生活の新方向を明示」する新たな詔書を発布することが要請されている。
一方,日本国憲法では次のように規定されている。
「ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。 そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり,この憲法はかかる原理に基くものである。 われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。 」
そして,教育基本法が制定され,日本国憲法の精神をふまえて個人の尊厳の尊重,真理と平和を希求する人間の育成を新たな教育理念として掲げるとともに,教育の機会均等,教育に対する公権力の不当な介入の禁止などを規定した。
この2つを総合すれば,天皇が国民に詔書を下して指針を示すのは国民主権の原理に反するものであり排除されるべきものであるとともに,新憲法の精神をふまえて教育基本法が定められ,そこで教育理念が示されれば,あらためて天皇が教育理念を示す必要はない,と考えることができる。


(解答例)
A内地雑居が実現するの機に外国人排斥の風潮が生じることを危惧した。そこで,五箇条の誓文に依拠し,開国和親の姿勢を強調してその風潮を抑制し,一等国としての矜持を国民に求めようとした。(90字)
B教育勅語のように天皇が勅語を発して教育理念を示すのは日本国憲法が掲げる国民主権の原理に反し,排除するのが当然である上,教育基本法で新憲法の精神をふまえた新たな教育理念が示された。(90字)
(別解)B教育勅語は天皇中心の国体観念を養うことを天皇が臣民に求めた勅語であり,日本国憲法が宣言する国民主権の原理に反するうえ,教育基本法で新憲法の精神をふまえた新たな教育理念が示された。(90字)


【添削例】

≪最初の答案≫

A条約改正により外国人の内地雑居が実現することに伴う攘夷運動の激化を危惧した。天皇の権威を利用して秩序の維持を図り、開国和親の国是を国民に訴えて対処した。

B教育勅語は忠君愛国を唱え、民主的ではなかったので米国教育使節団に否定された。日本国憲法の天皇を国民の象徴とするという規定やそれに基づく教育基本法に反していた教育勅語は失効された。

Aについて。
> 条約改正により外国人の内地雑居が実現することに伴う攘夷運動の激化を危惧した。
危惧したことがらについての説明はOKです。

> 天皇の権威を利用して秩序の維持を図り、開国和親の国是を国民に訴えて対処した。
勅語なのだから「天皇の権威を利用」しようとするのは当然のことです。
「開国和親の国是」とは具体的に何を意味するのかを明記しながら、西園寺が天皇の権威をどのような形で利用しようと考えていたのか、説明しておきたいところです。

ところで、「秩序の維持を図り…対処した」との説明では、危惧される「攘夷運動の激化」への対処としては説明不足です。
資料文⑴のなかの「我が臣民は,相手国の臣民に丁寧・親切に接し,はっきりと大国としての寛容の気風を発揮しなければならない。」の部分を答案のなかに反映したいですね。

Bについて。
> 民主的ではなかったので米国教育使節団に否定された。
教育勅語を米国教育使節団が否定したことを知識として持っていますか?
もしそうだとして、資料文⑵で「従来の教育勅語は,天地の公道を示されしものとして,決して謬りにはあらざる」と書かれていることとの整合性をどのように説明しますか?

> 天皇を国民の象徴とするという規定
なぜ教育勅語はその規定に反するのかが説明不足です。言い換えないと、どのような点が「象徴」規定に反するのかが分かりません。

そして、なぜ「新たな勅語」は実現しなかったのですか。それについての説明が抜けています。

≪書き直し≫

A条約改正により外国人の内地雑居が実現することに伴う攘夷運動の激化を危惧した。開国和親を強調して国際協調の姿勢を取り攘夷の風潮を抑制し、大国としての威信やプライドを国民に求めた。

B教育勅語のように忠君愛国の精神に基づき国民の精神生活を縛ることは日本国憲法の国民主権に反し、教育基本法で立憲主義に適合的な新たな教育理念が明示されたから。

Aについて。
「開国和親」を「国際協調」と言い換えても一緒です。結局、「開国和親の国是」が何を意味するのかを意識できなかったようですね。 資料文⑴のなかの「旧来の悪しき慣習を破り,知識を世界に求め,上下心を一つにして怠らない。」が五カ条の誓文の一部を引用したものである点に気づきませんでしたか?「国是」とは五カ条の誓文を指します。明治維新に際して掲げられた天皇の初志をふり返り、再び意識化することを国民に求めている点に気づきたかったところです。天皇の権威と言っても、五カ条の誓文のもつ権威を西園寺は活用しようとしたのです。

Bについて。
「忠君愛国の精神に基づき国民の精神生活を縛ること」は、国民主権ではなく基本的人権の尊重に反するのではありませんか?
そして、国民主権に反するのは、天皇が勅語(新たな勅語であれ)という形で教育方針、国民の精神生活の方向を示す点ではありませんか?

ところで、なぜ「立憲主義に適合的な」と書いたのでしょうか。教育勅語(1890年)も大日本帝国憲法に則せば「立憲主義」的ではありませんか?

≪書き直し2回目≫

A条約改正による内地雑居の実現に伴う攘夷の風潮の激化を危惧した。五ケ条の御誓文に依拠して開国和親の姿勢を強調してその風潮を抑制し,大国としての矜持を国民に求めようとした。

B教育勅語のように天皇が直後を発して教育理念を示すのは日本国憲法の国民主権の原理に反し,排除するのが当然で,教育基本法で新しい憲法の精神をふまえた教育理念が示された。

A、BともにOKです。