年度 1978年
設問番号 第1問
テーマ 古代国家の形成と展開・摂関政治と院政/古代
(b)
(a)で誤りとした文章について、それにかわる正しい文章を記すこと。条件として(1)下線の部分をそのまま用いること、(2)語群のなかの三つの語を使用すること、(3)問題文に示された一連の文章の流れにふさわしい文章であること、が求められている。
条件(3)に従うならば、「5世紀後半から6世紀にかけて、大和政権による地方支配は一層進行した。」は書き出しの文章としてそのまま活かすのがよい。
次に条件(2)。語群のなかから氏姓制度に関連する語句を抜き出すと、「県主、大王、伴造、屯倉」の4つ。このうち、“大和政権による地方支配”という観点からすれば「伴造」がやや使いにくいので、これを除外した残り3つの語句を使って文章を作成すればよい。
大和政権に服属した豪族
…国造・県主に任じられて旧来の支配権を保障される(地方支配を任される)
↓
大和政権…豪族支配下の土地・人民の一部を割いて大王家の直轄地である屯倉や直属民である子代・名代を設定→国造に管理・貢納を任せる
B
≪(ア)(イ)のころの政治=摂関政治≫
藤原実頼・頼忠が朝廷の人々から軽視された事情。
(ア)冷泉天皇の関白は藤原実頼、ところが昇進人事は藤原伊尹らが掌握していた、という。
(エ)の略系図から、藤原伊尹は当時の天皇・冷泉天皇の伯父であることがわかる。
(イ)花山天皇の関白は藤原頼忠、ところが藤原義懐が国政の実権を握っていた、という。さらに東宮(皇太子)は懐仁親王(のちの一条天皇)。藤原兼家は「自分が将来置かれるであろう立場」を考えて摂関への野望を抑えていた、という。
(エ)の略系図から、藤原義懐は当時の天皇・花山天皇の伯父であり、藤原兼家は皇太子・懐仁親王(のちの一条天皇)の祖父であることがわかる。
これらから、摂政・関白であるか否かにかかわらず、天皇と外戚関係をもつものが権力を握ったこと、換言すれば、権力者は天皇との外戚関係に頼って権力を維持していたことがわかる。
なお、摂政・関白は藤原氏の氏長者が就任することが慣例となっていたが、摂政は天皇の代行者であるものの、関白は天皇の後見者にすぎず、天皇が最終的な決定権を保持していたために、天皇やその側近(外戚など)の意向を政治運営から排除することはできなかった。
摂関政治の内容
藤原氏の氏長者が摂政・関白に就任
天皇との外戚関係にもとづいて天皇の権限(人事権など)に深く関与
→一族一門で高位高官を独占=太政官を主導
≪(ウ)の頃の政治=院政≫
藤原公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情
(ウ)藤原公実が鳥羽天皇の摂政への就任を要求したというが、(エ)の略系図から、公実が鳥羽天皇の叔父であることがわかる。そして公実がその要求を白河上皇に迫ったこと、上皇がそれを拒否したことから、白河上皇が人事権など国政の実権を握っていたことがわかる。
(ア)(イ)との対比からいえば、天皇と外戚関係をもつからといって国政の実権を握ることができたわけではないことがわかる。そして、権力を握っていたのは(この逸話でいえば)天皇の祖父である上皇であるが、一般化すれば、権力者である上皇(院)は天皇の親権者・天皇家の家長という立場にもとづいて権力を確保・維持していた。
院政の内容
院(上皇)が天皇家の家長という立場から天皇を後見
中下級貴族を院の近臣として私的に組織
→法(律令)や慣例に拘束されずに恣意的な(専制的な)政治を行う