年度 1979年
設問番号 第3問
テーマ 鎖国と洋学の受容/近世
まずは、史料(A)(B)の内容を確認しておこう。
(A)松平定信(寛政期に幕政改革を主導)
ヨーロッパの文化・学問を、警戒の対象としているものの、天文地理学・兵学・医学について高く評価している。
(B)佐久間象山(天保期の海防掛老中真田幸貫の側近)
儒学(漢土の学)だけでは「空疎」、洋学だけでは道徳面が欠落するので、儒学と洋学を合併すれば完全となる、と主張している。
次に、“一貫した特色”があるというのだから、両者の共通点を読み取ろう。
(A)では、ヨーロッパの文化・学問を天文地理学・兵学・医学といった実用的な側面で高く評価しており、(B)で儒学だけでは「空疎」と指摘されているのは、儒学にはそうした実用的な側面が不十分だとの認識である。
また、(B)でヨーロッパの文化・学問では見るべきものがないと指摘されている道徳面とはキリスト教的要素を指していると想像でき、鎖国制の目的のひとつがキリスト教禁制の徹底であることを想起するならば、それが(A)で警戒の対象とされている側面(のひとつ)であることもわかる。そして、(B)では儒学を道徳面で高く評価しているが、寛政異学の禁を想起すれば、(A)でもその姿勢が貫かれていることは想像できる。
つまり、(A)(B)両者に共通して認められるのは、為政者の立場から儒学を支配思想の要と考え、キリスト教的な要素を排除しながらも、封建支配維持のための実用的な手段としてヨーロッパの天文地理学・兵学・医学などを高く評価し、受容しようとする姿勢である。
ちなみに、幕末には西周や津田真道がヨーロッパの国際法や政治制度を紹介しており、蘭学(洋学)が単に自然科学の領域に限定されたものでないことがわかるが(兵学も自然科学ではないが)、それらにしても西欧中心の国際社会のなかで国家として維持していくための実用的な手段であったことには違いがない。
なお、答案作成にあたっては、18世紀にはいってから蘭学が興隆するきっかけ−享保改革での漢訳洋書輸入禁の緩和−から書き始めるとよいだろう。