年度 1983年
設問番号 第3問
テーマ 参勤交代設置の理由/近世
参勤交代とは大名が領国と江戸をいっぱんに1年交替で往復する制度だが、まず、将軍が大名に課したものであることを意識しよう。
将軍と大名は主従関係を結んでおり、将軍は大名に対して知行地を給付する代わりに、軍役などの奉公を賦課していた(そしてその主従関係は石高に基づいていた)。そこから、参勤交代が大名の将軍に対する奉公(の1つ)であることがわかるだろう。
そのことを前提にしながら、条件として掲げられた“戦国末期以来の政治や社会の動き”を確認しよう。
“戦国末期以来”がいつ頃からなのかは了解しにくいが、豊臣政権期が含まれることは確か。とりあえず戦国大名の分国支配を念頭におきつつ、豊臣政権の政策を確認しよう。
戦国大名が分国支配を展開し、さらにそれが織豊政権のもとで統合されていった戦国末期とは、大名層が家臣の独立性、土地・農民に対する直接的な支配力を弱体化していく過程であり、それが豊臣政権のもとで太閤検地・兵農分離という形で継承・徹底され、近世社会の基礎が形作られていく。
そのなかで遂行されていくさまざまな政策のうち、家臣を主君のもとへ参勤させる政策はないか−と考えていくと、家臣の城下町集住策が思い浮かぶはず。
戦国末期以来、家臣を城下町に集住させ、そのことにより家臣のもつ土地・農民に対する支配力を弱体化しようとする動きが進展していた。さて、参勤交代が制度化されたのは1635年のことだが、すでに大坂の陣により戦国期以来の争乱に終止符が打たれてしまっている(元和偃武)。このことは、幕府が諸大名に対して軍役を課し、軍事動員する機会がなくなってしまったことを意味しており、諸大名の将軍(幕府)への忠誠を確かめる機会がきわめて少なくなってしまったことを意味する。
江戸幕府は、大名を江戸へ参勤させ、将軍に対する忠誠を示させるとともに、大名の領主権を弱めようとした。