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年度 1986年

設問番号 第1問

テーマ 古代国家の文字受容と使用/古代


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設問の要求は、1〜8世紀における文字の受容と使用の発展。条件として、(1)国際関係における文字の受容と利用、(2)国内統治における文字の利用を考慮することが求められている。

ここでは“文字=漢字”であることはすぐにわかるだろう。そして、漢字がもともと中国で使われていた文字であることを考えれば、条件(1)の“国際関係”とは中国との関係が主であることがわかる。
というわけで、まず中国との交渉のなかで文字=漢字がどのように受容され利用されたかを考えてみよう。
とはいえ、朝鮮諸国も倭と同様に(いや倭以上に)中国とさかんに交渉をもち、漢字文化圏の一部を構成したこと、そして、倭は中国以上に朝鮮諸国(とりわけ百済)と密接な関係をもっていたことを念頭におくならば、条件(1)の“国際関係“には朝鮮諸国との関係も含まれていることに気づくはずである。中国との交渉だけではなく、朝鮮諸国との交渉のなかで文字=漢字がどのように受容され利用されたかも考えなければならない。

中国との関係
1世紀 奴国王が後漢に朝貢・光武帝から印綬(「漢委奴国王」印)を授与される
2世紀 倭国王帥升が後漢に生口を献上
3世紀 邪馬台国連合の女王卑弥呼が魏に朝貢・「親魏倭王」の称号を授与される
5世紀 倭の五王が南朝宋に朝貢(倭武は上表文を提出)・冊封を受ける
7世紀 遣隋使・遣唐使(〜8世紀)

朝鮮諸国との関係
4世紀 七支刀…百済から贈られたもの・漢字の銘文が刻まれている
5世紀 渡来人の阿知使主・王仁…文筆を伝える
6世紀 百済から儒教や仏教が伝えられる
7世紀 滅亡した百済から大量の渡来人
7〜8世紀 新羅との間で使節の往来

次に条件(2)。“国内統治”といったとき、何が思い浮かぶか。まず国内における文字(漢字)の使用例をピックアップしてみるとよい。そのうえで、どのような形で文字=漢字が使用されたのかを整理していこう。
5〜6世紀
稲荷山古墳鉄剣銘・江田船山古墳大刀銘・隅田八幡神社人物画像鏡銘など(日本語の発音を漢字の音をつかって表記)
東漢氏(←阿知使主)・西文氏(←王仁)…大和政権のもとで文筆担当(外交文書の作成や出納など)
7世紀
律令の導入…律令そのものが漢字表記・戸籍や計帳の作成で漢字使用・中央と地方の情報伝達は文書で行なわれる
木簡…調庸の荷札などに使用(「評」の存在が確認された藤原宮出土の木簡など)
8世紀
漢字の使用が定着…歴史書・地誌の編纂や漢詩文の普及・万葉仮名


(解答例)
1世紀以降、日本は中国を頂点とする冊封体制下に入り、漢字文化圏に包摂された。同じ漢字文化圏に属した朝鮮諸国とも密接に交流し、5世紀に朝鮮から多くの渡来人が移住してくると、大和政権は彼らを品部に組織して外交文書の作成や出納など文筆を担当させた。その結果、倭王武が中国南朝の宋へ上表文を提出するなどで文字使用が本格化し、日本の地名や人名を漢字の音を使って表記することも行われ始めた。7世紀には遣隋使・遣唐使が派遣され、さらに律令制度の導入にともなって戸籍が全国的に作成され、中央と地方の情報伝達も文書で行われたため、文字使用が大きく普及した。そして8世紀には万葉仮名が創出され、文字使用が定着していった。