年度 1990年
設問番号 第3問
テーマ 鎖国下の対外関係/近世
もともと鎖国とは、(1)海禁政策(日本人の海外渡航を禁止)と(2)四口での管理貿易体制(通交相手を中国とオランダ−長崎口−・朝鮮−対馬口−・琉球−薩摩口−・蝦夷地(アイヌ)−松前口−に限定)の2側面から成っている。
史料文の内容把握。
(a)「我国の商戸(商人)外国に往く事をとどめ」
日本人の海外渡航を禁止
(b)「外国の賣船(商船)もまた、もやすく(容易に)我国に来る事を許さず。しいて来る海舶ありといえども、固く退けていれず」
異国とは新たな通交を持たない
(c)「ただ唐山(中国)・朝鮮・琉球・紅毛(オランダ)の往来」「来ることの久しき素より其いわれあるを以てなり」
通交は中国・朝鮮・琉球・オランダに限定されており、それは「素より其いわれある」からである−祖法−。
(d)「其国(ロシア)の如きは、昔よりいまだ曾て信を通ぜし事なし」
「昔よりいまだ曾て信を通ぜし事なし」との理由でロシアの通商要求を拒絶
(a)は(1)海禁政策を表明したもの。(b)(c)は(2)四口の管理貿易体制に関する説明で、“四つの口”が固定的なものと捉えられ、中国・朝鮮・琉球・オランダ以外の諸国とは新たな通交を結ぶ意思がないことが示されている。そして、それを前提として(d)ロシアの通商要求を拒否している。
ところで、(c)では中国・オランダと朝鮮・琉球とが同列に扱われており、通商国と通信国という区別が意識されていないことがわかる。実際、“通信の国を朝鮮・琉球、通商の国を中国・オランダに限定し、それ以外の諸国とは新たな通交を結ばない”という姿勢が確立するのは、オランダ国王からの開国勧告(1844年)にこたえるなかでのことであった。つまり、欧米諸国が接近し新たな諸国との通交が求められるようになるなかで、幕府のもとでの対外政策・体制が“四つの口”の体制として固定的に意識され、いわゆる鎖国と捉える意識が段階的に確立していったのである。もっとも、幕府がその政策・体制を鎖国と呼んでいたわけではなく、鎖国という言葉は明治期以降に一般化したものである。