年度 1991年
設問番号 第2問
テーマ 建武新政の特色/中世
問題文をチェックしよう。
●「鎌倉幕府を倒して一身に権力を集中」
もともと鎌倉時代は朝廷・幕府による公武二元支配であり、鎌倉幕府が滅亡したことにより朝廷の全国支配が復活するとしても、後醍醐天皇個人に権力が集中するとは限らない。「一身に権力を集中」させるとはどういうものかを明確にする必要がある。次の文章を参照しよう。
●「平安時代以来、貴族社会では、「先例」に従うことが正しい政治のありかただとする考えが支配的であった。天皇は、「今の先例も昔は新儀だった.私の行う新儀は未来には先例となるだろう」(『梅松論』)という言葉に示されるような意気ごみで、つぎつぎに目新しい政治改革を打ち出した」
後醍醐は、公家社会に支配的な「「先例」に従うことが正しい政治のありかただとする考え」を否定するような政治改革を実施したという。となれば、先例、いいかえれば公家政治の慣習とは何なのかを考え、そのうえで後醍醐がやろうとした政治改革を特色づけする必要がある−“天皇親政”との表現では特色づけがやや曖昧−。その際、後醍醐が院政や摂政・関白を否定したことを思い起こそう。
(B)
設問の要求は、天皇の政治に対し、北畠親房がどのような立場からどのような批判をもっていたか。
北畠親房が後醍醐天皇による建武新政に批判的だったという事実を初めて知る受験生が多いと思う。そうなれば、問題文を参考にするしか対処法はない。
『神皇正統記』からの引用
●「今こそ積年の弊を一掃する好機だったのに」
「由緒ある家がほとんど名ばかりになってしまった例もある」
後醍醐の「急進的な改革」への貴族のなかの批判の一例として北畠親房『神皇正統記』からの引用が紹介されているのだから、北畠親房が「由緒ある家」を重視する立場、「「先例」に従うことが正しい政治のありかただとする」貴族社会に支配的な考えに立っていることが推測できる。
●「こうして勲功を鼻にかけた者たちが天皇の政治を堕落させた結果、皇威もますます軽くなるかと見えた」
後醍醐天皇の政治改革がかえって天皇の権威を低下させてしまったと批判している。