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年度 1995年

設問番号 第1問

テーマ 摂関政治/古代


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設問の要求は,摂政と関白の(1)共通点,(2)相違点。

“摂政は天皇が幼少のとき,関白は天皇が成人のとき”というのが最低限の知識だが,それだけでは相違点しか明らかにならない。さらに,摂政は天皇の政務を代行し,関白は天皇を後見する(天皇が最終決定を下す際の相談役)という風に,摂政と関白の権限は大きく異なる。では,共通点は何か。教科書の表現を参照しよう。
山川『詳説日本史【改訂版】』
「藤原忠平が摂政・関白をつとめ,太政官の上にたって実権をにぎった。」(p.66)
「摂政・関白がひき続いて太政官の政治を主導し,政権の最高の座にあった10世紀後半から11世紀ころの政治を摂関政治とよび,摂政・関白をだす家柄を摂関家という。」(p.66)
三省堂『詳解日本史』
「藤原忠平の時代に,天皇の幼少時には摂政に,元服後には関白に就任して,天皇の後見として太政官の会議を主導するという摂関政治の基礎がつくられた。」(p.54)

なお,摂政・関白はいわば天皇の補強物であり,摂政・関白の登場により天皇個人のいかんにかかわりなくその権限を全面行使しうる体制が築き上げられたことを意味している。逆にいえば奈良時代以前は天皇には個々の能力が要請されたため,皇太子が幼少のときに女帝が即位するということが発生したのだといえる。


設問の要求は,前期摂関政治(9世紀後半から10世紀中頃まで)の特徴。条件として後期(10世紀中頃から11世紀中頃まで)と比較することが求められている。

後期摂関政治とは設問にある時期から判断すれば“摂関政治の全盛期”であり,まずその時期の特徴を明確にすることから始めよう。
 ●摂政・関白が常置
 ●藤原北家(藤原氏の氏長者)が摂政・関白に就任することが慣例化
 (藤原北家が摂政・関白の地位を独占)

これを念頭におけば,(1)摂政・関白がまだ常置されるに至っていない,(2)藤原北家の特権的な地位がまだ確立・安定していない,の2点を前期の特徴として整理できる。あとは具体的なデータを適宜補えばよい。
(なお,Aで問われているような摂政と関白の違いが制度的に明確になるのも藤原忠平以降のこと)


(解答例)

摂政は天皇の幼少時に政務を代行し,関白は成人後の後見役である。ともに人事権など天皇の権限に関与して最高権力を掌握した。
(別解)
ともに太政官の政務を統括し,天皇の権限にも深く関与したが,摂政は天皇の幼少時に政務を代行し,関白は成人天皇を後見した。

後期には摂政・関白が常置され,藤原北家が就任することが慣例化した。しかし前期は,摂政・関白が未だ制度化されず,醍醐・村上朝のように不設置の時期があり,また藤原北家の天皇家との外戚関係も安定しておらず,応天門の変など他氏排斥が相次いだ。
【添削例】

≪最初の答案≫

Aともに天皇に代わって実際に政治を行う役職であるが,摂政は天皇が女性・幼少時のみで,関白は成人後に置かれる役職である。

B摂関政治後期は,藤原氏の安定期で天皇の外戚になるなど,摂関はほぼ政治において全権を握っていた。それに対し,前期は,藤原氏の権力の確立期で,他勢力との対立もあり,摂関は常置されず,他氏排斥が続くなど不安定な時期であった。


> ともに天皇に代わって実際に政治を行う役職である
という部分は誤り。天皇に代って政治を行うのは摂政のみで,関白は天皇の権限を代行せずいわば後見役をつとめるだけです。具体的には,天皇に奏上し,また天皇から太政官へ下される全ての事項について,あらかじめ諮問をうけるのが関白です。あくまでも最終的な決定権は天皇が行使していました。

また,摂政についてのところで「女性・幼少時のみ」とあるが,設問は「摂関政治について」との限定があるので,「女性」は不要。


内容的にはほぼ OK ですが,後期について
> 摂関政治後期は,藤原氏の安定期で天皇の外戚になるなど
と,天皇との外戚関係について触れるのならば,この設問は“前期の特徴”が問われているのだから,前期についても外戚関係の有無に言及すべき。

≪書き直しの答案≫

A ともに太政官制度に立脚し,天皇の権限に関与して最高権力を持つもので,摂政は政務の代行者,関白は成人後の後見役であった。

B後期は摂関常置で,天皇家との外戚関係も確立し,藤原北家による摂関政治の安定期であった。それに対して前期は,摂関不設置の時期もあり,藤原氏と天皇との関係も確立されておらず,他氏排斥などが行われるなど摂関政治確立過程の不安定な時期であった。


ほぼOKですが,摂政が「幼少時の」ものであることも明言した方がよい。

BはOKです。