年度 1997年
設問番号 第1問
テーマ 遣唐使の影響・吉備真備が活躍できた理由/古代
制度…律令・都城制・貨幣制度
文物…儒教(儒学)・鎮護国家の仏教・漢詩文・国際色豊かな美術工芸
(儒教や仏教は,制度といった方が適切かもしれないが,とりあえず文物に分類しておいた)
B
設問の要求は,地方豪族出身の吉備真備が長期にわたって政界で活躍し右大臣にまで上ることができた理由。
設問では「考えられることを述べよ」と書かれているが,ヒントは問題文のなかにある。データを引き出して要約したい。
問題文から引き出すことができるデータ。
(1)留学・経史を学ぶ・唐で名をなした・最新の知識が朝廷で重んじられた
…唐の最新の知識に精通した貴重な人材
(2)二度にわたって唐にわたった経験をもつ
…国際関係に精通(←唐・新羅との国際的緊張)
(3)国際的緊張下に筑前国の怡土城を造る・兵法の知識をいかして乱の鎮圧に活躍
…有能な兵学者
(4)孝謙天皇の皇太子時代の教師・孝謙上皇側の参謀
…孝謙からの信任
字数が3行(90字)しかないので,これらのデータをまとめるだけで終わるだろう。なお,(1)〜(3)は吉備真備の個人的能力に関するもの,(4)は律令制のもとでの絶対君主たる天皇との人間関係に関するもの。
≪最初の答案≫
A中央集権体制を目指す日本にとって唐の制度は重要な模範となり,遣唐使を派遣して律令やその根幹となる均田制を学ばせた。また,唐は軍事・文化面においても優れていたので,兵法・築城法を学んで帰る者や,唐の仏教や芸術品を持ち帰る者もいた。 B奈良時代中期になると,律令制の衰退や,新羅との関係の悪化など政治・外交面の問題も複雑化していた。このような中で,唐で政治・外交の知識を学んだ吉備真備は政界で重用された。 |
> A中央集権体制を目指す日本にとって唐の制度は重要な模範となり,
> 遣唐使を派遣して律令やその根幹となる均田制を学ばせた。また,
> 唐は軍事・文化面においても優れていたので,兵法・築城法を学ん
> で帰る者や,唐の仏教や芸術品を持ち帰る者もいた。
大筋においては OK ですが,都城制や貨幣制度にも触れておきたいし,吉備真備が伝えた多くの書物には儒学(儒教)の書物も含まれていたと想像されるので−大学に儒学を学ぶ明経道があることを想起−,それについても触れておきたい。
> B奈良時代中期になると,律令制の衰退や,新羅との関係の悪化な
> ど政治・外交面の問題も複雑化していた。このような中で,唐で政
> 治・外交の知識を学んだ吉備真備は政界で重用された。
「唐で政治・外交の知識を学んだ」というだけの説明では,“実務能力に優れた”貴重な人材であったことを示しているだけにすぎない。ところが,吉備真備は称徳朝に右大臣にまで昇進している。当時としては政界ナンバー3の存在である。なぜそこまで昇りつめることが可能だったのか。問題文に示されたデータをもう少し活用して欲しい。
≪書き直し≫
A中央集権国家を確立するため,日本は唐の律令制を導入し,国家整備のために都城制・貨幣制度も唐にならった。また,文化面においても鎮護国家の根幹となる仏教・儒学,また,大陸の美術工芸品などが伝えられ,主に学問・教養として貴族層が受容した。 B唐で学んだ最新の知識は,緊張下にあった新羅との外交や国内情勢の混乱を解決するのに重宝した。また,長く権力をもった孝謙=称徳天皇にも信頼されていた。 |
> A中央集権国家を確立するため,日本は唐の律令制を導入し,国家
> 整備のために都城制・貨幣制度も唐にならった。また,文化面にお
> いても鎮護国家の根幹となる仏教・儒学,また,大陸の美術工芸品
> などが伝えられ,主に学問・教養として貴族層が受容した。
OK です。
> B唐で学んだ最新の知識は,緊張下にあった新羅との外交や国内情
> 勢の混乱を解決するのに重宝した。また,長く権力をもった孝謙=
> 称徳天皇にも信頼されていた。
「長く権力をもった孝謙=称徳天皇にも信頼されていた」という箇所ですが,その理由はなんでしょうか?問題文に示されているデータからその理由を推論して表現しておくことが必要です。
≪書き直し2回め≫
B吉備真備の政治・軍事・外交に関する知識は当時の国内外の問題の解決に非常に重宝された。また,孝謙=称徳天皇の教師であったことから厚い信頼を受け,激しい政争の中でも昇進を重ねた。 |
> 孝謙=称徳天皇の教師であったこと
“天皇即位後の”と読めてしまうので,“皇太子時代の”と明言しておいたほうがよい。
あとはOKです。