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年度 1998年

設問番号 第4問

テーマ 1910〜40年代の労働組合運動の変容/近現代


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設問の要求は,1910年代から1940年代までの労働組合運動の変容。条件は,(a)社会的な背景に触れること,(b)5つの指定語句を使用すること。

まずは,5つの指定語句を年代順に並べることから始めよう。
 第一次世界大戦→米騒動→日本労働総同盟→産業報国会→労働組合法
これらの語句のうち,第一次世界大戦と米騒動は労働組合運動そのものに関わる語句ではなく,社会的な背景に関わるもの。日本労働総同盟は1921年友愛会が発展・改組する形で成立した労働組合の全国組織なので(正確には1919年に大日本労働総同盟友愛会と改称したあと日本労働総同盟へと再改称されている),その2つは日本労働総同盟成立の背景についての説明のなかで使えばよい。あとは,産業報国会と労働組合法に関してその社会的な背景を明確にすることだ。
そして,最後に,“労働組合運動の変容”がきちんと説明できているかを確認し,全体的な論旨を明確にすることを忘れないように。

1910年代 労働組合の組織化と参加人員の拡大
≪背景≫大戦景気のなかで都市労働者の増加,ロシア革命と米騒動の影響
≪内容≫労働者の修養・共済団体としての性格の強かった友愛会→本格的な労働組合として日本労働総同盟へ発展

1920年代 労働組合公認への動き=挫折
≪背景≫ILO(国際労働機構)の設立
≪内容≫労働団体による治安警察法第17条(労働者の団結と争議行為を実質的に禁止)撤廃・労働組合法制定の要求,官僚による労働組合法案の策定
    →治安警察法第17条の廃止(1926年・労働争議調停法の成立とひきかえ)・労働組合法制定は資本家団体の反対で実現せず

1920年代後半 労働組合の分裂と弾圧
≪背景≫労働運動の激化,コミンテルン(共産党勢力)の影響拡大
≪内容≫総同盟が分裂し,左派が日本労働組合評議会を結成=治安維持法のもとで弾圧・結社禁止
    →昭和恐慌のもとで労働争議が激化(戦前最大の発生件数)

1930年代〜40年代前半 労働組合の右傾化と解散
≪背景≫十五年戦争の展開,日中戦争のもとで労働者の戦争協力体制への再編成
≪内容≫労働組合も戦争協力に積極的…各地で産業報国会の結成→労働組合の解散・大日本産業報国会の結成

1940年代後半 労働組合の合法化と急増
≪背景≫占領期の民主化政策,極度の物不足と通貨の増発によるインフレ→国民生活の圧迫
≪内容≫労働組合法により初めて労働組合の結成とその活動が合法化された(労働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が法認された)→労働組合運動の急速な高揚

なお,1920年代の動向は細かいので,労働争議について簡潔に説明しておけばよいだろう。


(解答例)
第一次世界大戦中の経済成長により労働者が増加し,労働組合が成長した。米騒動を契機として労働組合運動が高揚し,労資協調の友愛会は階級闘争主義を掲げる日本労働総同盟へ発展した。相次ぐ恐慌のなかで労働争議が発生したが,満州事変以降,労働組合は戦争協力の傾向を強め,日中戦争期に労使一体の産業報国会の組織が進むなかで解散した。敗戦後,民主化政策により労働組合法が制定されて労働組合が初めて公認されたうえ,極度の物不足などにともなうインフレが国民生活を圧迫し,労働組合運動は急速に高揚した。
【添削例】

≪最初の答案≫

第一次世界大戦下の大戦景気によって男子工業労働者が急増し、過酷な労働条件や低い賃金への不満がロシア革命や米騒動を契機に労働運動となって高揚した。これに伴い、友愛会は日本全国的組織の労働総同盟となった。その後、総同盟は分裂し、左派は治安維持法による弾圧を受けた。一方、右派・中間派は日中戦争化の総力戦体制のもとで産業報国会を結成し、労働組合は解散した。その後、戦後のGHQ体制の下で労働組合法が制定され労働運動が合法的に認められた。

答案全体の構成は OK ですが,細部でやや改善すべき点がいくつかあります。

まず,
> 友愛会は日本全国的組織の労働総同盟となった。

「となった」より「へ成長した」「へ発展した」と表現する方が,直前の「労働運動となって高揚した」との関連が明確になってくる。
また「日本全国的組織」の「日本」はあえて記述する必要はない。

次に
> 右派・中間派は日中戦争下の総力戦体制の
> もとで産業報国会を結成し、労働組合は解散した。

この表現だと,右派・中間派の労働組合が主体的に産業報国会を結成したかのように読めるので,「労働組合を解散し,産業報国会に参加した(吸収された)」くらいの表現の方が適当。 また,産業報国会と労働組合の性格の違いがわからないので(産業報国会は労働組合ではない),産業報国会に少し説明を施しておく方が適当。