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年度 1999年

設問番号 第2問

テーマ 室町文化の特徴/中世


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設問の要求は,(1)〜(4)の文章からうかがえる室町時代の文化の特徴。条件として,当時の民衆の状況と関連づけること,が求められている。

条件の“当時の民衆の状況”を考える際,“室町時代”という時代の限定からすぐに想起することができなかったときは,“(1)〜(4)の文章”にどのような語句が用いられているかをチェックすることから始めるとよい。
(1)に「農村地帯」,(3)に「村」,(4)にも「村」とあり,また,(2)には「京都や奈良の町衆」とある。前者から百姓による自治村落“惣村(惣)”,後者から町衆(富裕な商工業者)による自治組織“町”が思い浮かぶ。つまり,農業や商工業の発展のなかで百姓や町衆による地縁的な自治組織が形成され発展していたのが“当時の民衆の状況”である。

なお,惣はそれを構成する人々の全員の集会によって物事を決定するところからその名を生じたとされており,次のような特色をもっていた(1992年度第2問も参照のこと)。
(a)鎮守社の祭礼をおこなう組織である宮座を中軸として形成され,(b)村民全員参加による寄合で村の運営を協議し,(c)秩序維持のために独自の村掟を制定,警察・裁判を村民みずからが行使し(自検断),(d)農業生産に不可欠な村民たちの共同利用地である入会地(肥料源の山野)や灌漑施設を惣有財産として確保して管理,(e)年貢納入については百姓請を実現していた。

“室町時代の文化の特徴”をどう表現するかについては,教科書の記述を参照して表現を盗み取ろう。

山川 「政治的・経済的に公家を圧倒した武家が,文化的にもそのにない手として登場し,禅宗の影響を強くうけた武家文化が,伝統的な公家文化と融合しながら,惣村や都市の民衆とも交流して広い基盤を持つ特色ある文化をうみだした。」(p.135)
「室町時代には,民衆の地位の向上により,武士や公家だけでなく,民衆が参加し楽しむ文化がうまれたのも大きな特徴である。」(p.140)
民衆芸能は,多くの人びとが楽しみ,共同で行うことが一つの特色であり,当時,茶や連歌の寄合も多くもよおされた。」(p.141)

三省堂 「南北朝時代以降,民衆の台頭はめざましく,京都では町衆が文化の中心となり,芸能民が各地を遍歴する姿がみられ,地方に文化が普及し,あらたな民衆文化が生まれるようになった。」(p.113)
「こうして禅宗文化に,伝統的な公家文化と,民衆文化が融合しあって,室町文化とよばれる上下の身分をこえての文化交流が行われる新しい文化が生まれた。」(p.113)
「農村において連歌会が流行したのは,寄合というような村落結合が日常的に存在していたことも大きな理由であった。」(p.114注1)

実教 「商工業の発展にともなって,町衆や農民が文化のにない手として登場し,猿楽・狂言・連歌などが,都市と農村を問わず愛好され,庶民性ゆたかな文化に色どりをそえた。」(p.130)


(解答例)
室町時代には,農業や商工業の発展を背景に惣村や町といった地縁的な自治組織が発展して,百姓・町衆が文化の担い手として登場し,猿楽能・喫茶・連歌など集団で楽しみ共同で行う芸能が営まれた。そして,公家・武家がそれら民衆文化を受容する一方,各地の民衆も公家・武家文化を取り入れるなど,身分を超えた相互の融合が進み,幅広い基盤をもつ文化が形成された。
【添削例】

≪最初の答案≫

室町時代になると,農業・商工業の発展などを背景に民衆が文化の担い手に成長し,武家文化や公家文化と融合した新たな文化を創り出した。また当時,惣村などの地縁組織が発展していたため,これらの文化は集団で楽しむという特徴をもった物が多かった。なかでも能・茶・連歌などの基盤がこの時期に形成され,後の日本文化にも多大な影響を与えるものとなった。

民衆が文化の担い手に成長したこと,惣村などの地縁組織が発展していたために集団で楽しむという特徴をもった文化が多かったこと,この2点の指摘は OK です。
ただし,“集団で楽しむ文化”と“能・茶・連歌”という具体例との関連が読み取りにくいのが難点。“猿楽能・喫茶・連歌など集団で楽しむ文化”とまとめて説明するのがよい(なお「後の日本文化にも多大な影響を与えるものとなった」は,問題文で“(1)〜(4)の文章からうかがわれる”との限定が付けられている点を考慮すれば,不要です)。

ちなみに,君の答案には致命的な欠点があります。
君の答案を読むと,室町文化は民衆を担い手とする文化のように読めます。つまり,「武家文化や公家文化と融合した新たな文化を創り出した」主体は民衆だと,君は説明しているのです。ということは,公家や武家は文化の担い手ではなかったという話になってしまうのですが,そうですか?(1994年度第2問も参照のこと)。
資料文(1)では,観阿弥や世阿弥が「足利義満の称賛を受けた」ことが記され,また資料文(2)では村田珠光が「上流階級の間で流行していた貴族的な喫茶」に「町衆の間で行われていた質素な喫茶を取り入れ」たことが述べられています(どちらに取り入れたのか!?)。これらのデータから読み取れる内容を一般化して答案のなかに活用しましょう。

≪書き直し≫

室町時代になると,農業生産力の向上や商工業の発展を背景として百姓や町人が文化の担い手に成長した。また,彼らは自治的・地縁的な結合を持っており,特に猿楽能・茶・連歌などの集団で楽しむ文化が発達した。これらの民衆文化を上流貴族が受容する一方,民衆たちも上流文化を受け入れ,それによって身分に関係なく幅広い層に受け入れられる文化が形成された。

ほぼOK ですが,「上流貴族」という表現は室町時代では不適切。一般的には「貴族」=公家と考えられているので,それだと武家が民衆文化の受容主体から除外されてしまいますから。