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年度 1999年

設問番号 第4問

テーマ 近現代における教育制度の変遷/近現代


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設問の要求は,教育(初等・高等教育)の制度・内容の両面における変遷。条件として,年表を参考にすることが求められている。

使うべき語句が年表という形で提示されているため簡単な問題のように見える。しかし,それぞれの語句について知っていることがらをただ順々と書き並べただけでは,論旨のない,単なる語句(とその説明)の羅列に終わってしまい,解答としては不十分。いくつかに時期区分し(グルーピング),時代背景に関連させながら特徴づけすること(ラベリング)が必要だ。

時期区分の一例。

(1)明治初期:富国強兵のために国民皆学と実学の普及をめざす
  1872(明治5)年 学制公布
(2)明治中期:明治憲法体制の確立期
  1886(明治19)年 帝国大学令公布…国家官僚の養成機関を整備≪高等≫→学校制度の確立
  1890(明治23)年 教育勅語発布 …忠君愛国を教育理念として提示≪初等≫
(3)資本主義の確立と発達:教育の普及・拡大
  1907(明治40)年 義務教育4年から6年に延長…初等教育の定着≪初等≫
  1918(大正7)年 大学令公布        …高等教育機関の拡充≪高等≫
(4)十五年戦争期:総力戦体制への編成
  1941(昭和16)年 国民学校令公布 …小学校の改組(皇国民の練成)≪初等≫
  1943(昭和18)年 学徒出陣開始  …文系大学生などの徴兵≪高等≫
(5)占領期:教育の民主化
  1947(昭和22)年 教育基本法・学校教育法公布
          教育基本法…教育勅語に変わる新しい教育理念
          学校教育法…新しい学校制度の導入


(解答例)
学校制度の導入をはかる明治政府は,まず実学重視を掲げて学制を制定した。そして明治中期,官僚養成機関として帝国大学を設立すると共に,義務教育制を導入し,教育勅語で道徳重視の教育理念を提示した。その後,資本主義発達を背景に,明治末には義務教育が普及し,大正期には高等教育が拡充された。十五年戦争期には皇国民の練成が教育目的に掲げられたが,戦争末期になると学童疎開・学徒出陣などにより教育の崩壊が進んだ。敗戦後は教育の民主化が図られ,個人の尊厳重視などを理念として新制度が導入された。
【添削例】

≪最初の答案≫

明治初期,政府は国民皆学を目標として学制を公布し,明治中期になると官吏育成のための帝国大学令を公布した。憲法が制定されると教育勅語を発布し,教育理念を示し,明治末には義務教育の普及を達成した。大正になると,産業の発達などから高等教育の充実が必要となり政府は大学令を発布した。しかし昭和になり,戦争が始まると小学校は国民学校に改組され,皇国臣民の育成が目指され,戦局の悪化に伴って学徒出陣も行われた。敗戦後は新憲法に基づきて教育基本法・学校教育法が公布され,教育の民主化が図られた。

この問題は非常に難しい出題です。年表に示された語句の説明を連ねるだけなら極めて簡単なのですが,それでは設問の要求には応え切れません。君の答案も,そうした受験生一般の陥りやすいミスを犯しています。

設問では「初等教育」と「高等教育」に関し「制度・内容の両面」について変遷を説明することが求められていますが,君の答案では「制度」面・「内容」面について,それぞれの変遷が必ずしも説明できているわけではありません。
言い換えれば,論旨を明確にできていないのです。

> 明治初期,政府は国民皆学を目標として学制を公布し,明治中期
> になると官吏育成のための帝国大学令を公布した

ここでは,「帝国大学令」とその目的を説明することで「高等教育の制度・内容」についての説明ができていますが,同時期の「初等教育」についての説明が欠落しています。「学制」について「国民皆学」を指摘することで「初等教育」について説明したつもりなのかもしれませんが,「帝国大学令」と同時期ではありません。小学校令による義務教育制の導入を明記しておく必要があります。

> 憲法が制定されると教育勅語を発布し,教育理念を示し

教育勅語については単に教育理念を示したものである点を記述するのではなく,どのような教育理念を示したものなのかを具体的に説明しておかないと,答案のなかで「内容」面での変遷を説明していくことはできません。これに対応するのが第二次大戦後の教育の民主化に関する箇所ですが,

> 敗戦後は新憲法に基づきて教育基本法・学校教育法が公布され,
> 教育の民主化が図られた。

ここでも,教育勅語で示された理念との対比を考えれば,教育基本法で新しく示された教育理念を具体的に説明しておかなければダメです。

> 明治末には義務教育の普及を達成した。大正になると,産業の発
> 達などから高等教育の充実が必要となり政府は大学令を発布した。

ここは,初等・高等教育とも普及,充実したことを指摘している箇所なので,一文にまとめて記述しておく方がよい。

> 昭和になり,戦争が始まると小学校は国民学校に改組され,皇国
> 臣民の育成が目指され,戦局の悪化に伴って学徒出陣も行われた。

国民学校令により初等教育において「皇国臣民の育成」という理念が新たに提示されたことが記述されているのは良いのですが,「学徒出陣」が教育(具体的には高等教育)にどのような影響(制度面でも内容面でもいずれでも可)を与えたのかが書けていないため,「学徒出陣」が(初等・)高等教育の変遷のなかでどのような意味をもったのかが全く読み取れない。

というわけで,年表に記載されている語句だけで答案を作ろうとするのではなく,不足を補いながら,論旨を明確にする努力を怠らないで下さい。
(なお,年表中にでてくる法令名などの具体的事実については答案のなかで明確に表現せずとも,その内容が記述されてあれば問題はないでしょう。というか,答案に再度明記していると字数が不足してしまいます)

≪書き直し≫

明治初期,政府は国民皆学を掲げて学制を公布した。明治中期には学校令によって小学校から大学までの一連の学校制度を確立し,憲法制定後は教育勅語によって忠君愛国などの理念を示した。明治末期には義務教育が延長され,大正になると大学令によって高等教育の拡充も行われた。しかし,昭和の戦時体制化では小学校は国民学校に改組され,大学生も学徒出陣によって戦争へ駆り出された。敗戦後は新憲法に基づいて教育基本法・学校教育法を公布し,教育の民主化をはかった。

制度面での変遷についてなのですが,
まず,
> 学校令によって小
> 学校から大学までの一連の学校制度を確立し

とあるのですが,「大学」は不正確。「帝国大学」と表現すべき。なにしろ,それ以外の高等教育機関を「大学」として認可していないし,大正期に発布される「大学令」による「大学」と混同していると誤認される恐れがあるため。
また,「小学校」について記述したのはよいとしても,それ(その一部)に義務教育が導入されたことを明記したい。そうでないと,今の文章のままでは,義務教育がいつ整備されたのかが不明なままなので(学制の説明「国民皆学を掲げて」ではいつ義務教育が整備されたのかは説明されていない),「明治末期には義務教育が延長され」という部分が完全に文脈から浮き上がってしまう。

> 明治末期には義務教育が延長され

間違えてはいないが,先ほど指摘したように,今の文章のままだと義務教育がいつ整備されたのかが不明。義務教育が4年から6年に延長されたのは,義務教育4年制が定着したという実態が背景にあると想像できるはず。ということを考えれば,学校令のところで義務教育の導入・整備を触れずとも,(学制のところで「国民皆学を掲げて」とあるので)“明治末期に義務教育が普及・定着し”と表現しておけば,初等教育に関する制度面での変遷は説明できたといえるでしょう。

> 大学生も学徒出陣によって戦争へ駆り出された。

説明としては間違っていないが,“制度・内容面”という条件に配慮すれば,高等教育(文系に限定されるが)の形骸化・崩壊という指摘があってよいと思う。

近代は,ここのところ,こうしたテーマ史的な説明を要求する設問が増えているので,用語ごとの知識だけでなくテーマ史で時期ごとの特徴と流れをコンパクトに説明できるように訓練しておく必要があるでしょう。“易しそうに見える問題ほど難しい”ということを肝に銘じておきましょう。

≪書き直し2回め≫

明治初期,政府は国民皆学と実学の普及を目指し学制を制定した。明治中期には学校令を発して帝国大学を設立すると共に,義務教育を導入し,教育勅語で忠君愛国などの基本理念を示した。明治末期には義務教育は広く普及し,大正期には高等教育の拡充も行われた。しかし,昭和になり十五年戦争に突入すると小学校は国民学校に改組され,また,学徒出陣も行なわれ,教育の崩壊が進んだ。敗戦後は,新憲法に基づいて,教育基本法や学校教育法などが公布され,教育の民主化が図られた。

OKです。