年度 2000年

設問番号 第3問


幕末の開港後,国内の情勢は急速に不穏さを増していった。文久3年(1863)末,幕府は使節団をヨーロッパに派遣して,これに対応しようとした。使節は条約を締結した各国をまわる予定であったが,翌年春にフランス一国と交渉を行ったのち,与えられた使命の遂行を断念し,予定を打ち切って帰国の途についた。

以下の史料は,使節が書きとめたフランス外務大臣との交渉記録の一部である(原文には一部手を加えてある)。

これを読み,下記の設問に答えよ。

〔幕府使節〕 外国貿易の儀は,最初より天朝において忌み嫌われ,民心にも応ぜず,一種の凶族ありて,人心不折合の機会に乗じ,さかんに外国人排斥の説を主張す。すでに,不都合の事ども差し重なり,このまま差し置き候ては,かえって交誼も相破れ申すべく候。ひとまず折り合いをはかり候ため,神奈川港閉鎖いたし候わば,外国へ対し不都合の次第も差し起こらず,国内人心の折り合いの方便にも相成り,永久懇親も相遂げられ申すべし。

〔フランス外務大臣〕 神奈川港閉鎖の儀はできかね候。天朝御異存のところ,強いて条約御取り結びなされ候政府の思し召しはよく相分かり候。さりながら,ただ今にいたり条約御違反相成り候わば,戦争に及ぶべきは必定にこれあり。御国海軍は,たとえば大海の一滴にて,所詮御勝算はこれあるまじく存じ候。

設問

A 幕府使節のフランスへの要求は何か。1行以内で述べよ。

B 幕府がこのような使節を派遣するにいたった背景は何か。下線部の内容に留意しながら,3行以内で述べよ。

C 幕府使節はなぜ交渉を断念したのか。フランス外務大臣の対応にふれながら,2行以内で述べよ。