年度 2003年

設問番号 第1問


次の(1)〜(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで,下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では,中国と同じように,外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して,「隣国」と称することもあった。
(2) 遣唐使大伴古麻呂は,唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時,日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には,日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(3) 743年,新羅使は,それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので,日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。
(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は,新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし,使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また,752年の新羅使は700人あまりの大人数で,アジア各地のさまざまな品物をもたらし,貴族たちが競って購入したことが知られる。

設問
この時代の日本にとって,唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら,6行以内で説明しなさい。