年度 2004年

設問番号 第3問


次の(1)〜(3)の文章は,江戸時代における蝦夷地の動向について記したものである。これらを読んで,下記の設問に答えなさい。

(1) アイヌは,豊かな大自然の中,河川流域や海岸沿いにコタン(集落)を作り,漁業や狩猟で得たものを,和人などと交易して生活を支えた。松前藩は蝦夷地を支配するにあたって,有力なアイヌを乙名などに任じ,アイヌ社会を掌握しようとした。また藩やその家臣たちは,アイヌとの交易から得る利益を主な収入とした。
(2) 18世紀に入ると,松前藩は交易を広く商人にゆだねるようになり,18世紀後半からは,全国から有力な商人たちが漁獲物や毛皮・木材などを求めて蝦夷地に殺到した。商人の中にはアイヌを酷使しながら,自ら漁業や林業の経営に乗り出す者も現れた。また同じころ,松前・江差・箱館から日本海を回り,下関を経て上方にいたる廻船のルートが確立した。
(3) 蝦夷地における漁業は,鯡・鮭・鮑・昆布などが主なものであった。鯡は食用にも用いられたが,19世紀に入ると肥料用の〆粕などに加工された。鮭は塩引として,食用や贈答品に用いられ,また,なまこや鮑も食用に加工された。

設問
18世紀中ごろまでには,蝦夷地は幕藩体制にとって,なくてはならない地域となっていた。それはどのような意味においてだろうか。生産や流通,および長崎貿易との関係を中心に,6行以内で説明しなさい。