年度 2005年
設問番号 第1問
| 809年 | 嵯峨天皇が即位する |
|---|---|
| 810年 | 蔵人所を設置する |
| 812年 | この頃、空海が『風信帖』を書く |
| 814年 | 『凌雲集』ができる |
| 816年 | この頃、検非違使を設置する |
| 818年 | 平安宮の諸門・建物の名称を唐風にあらためる |
| 『文華秀麗集』ができる | |
| 820年 | 『弘仁格』『弘仁式』が成立する |
| 821年 | 唐風をとり入れた儀式次第を記す勅撰儀式書『内裏式』が成立する |
| 藤原冬嗣が勧学院を設置する | |
| 823年 | 嵯峨天皇が譲位する |
| 827年 | 『経国集』ができる |
| 833年 | 『令義解』が完成する |
| 842年 | 嵯峨上皇が死去する |
設問
嵯峨天皇は、即位の翌年に起きた藤原薬子の変を経て権力を確立し、貴族をおさえて強い政治力をふるい、譲位した後も上皇として朝廷に重きをなした。その結果、この時期30年余りにわたって政治の安定した状態が続くこととなった。古代における律令国家や文化の変化の中で、この時期はどのような意味をもっているか。政策と文化の関わりに注目して、6行以内で説明しなさい。