年度 2023年
設問番号 第3問
次の⑴〜⑸の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えよ。解答は,解答用紙(ハ)の欄に,設問ごとに改行し,設問の記号を付して記入せよ。
⑴ 江戸の寄席は多様な芸能を興行し,1820年頃から急増して,1841年には211カ所にのぼっていた。歌舞伎(芝居)は日中だけ興行し,入場料が次第に高額化したのに対し,寄席は夜も興行し,入場料は歌舞伎の100分の1ほどであった。
⑵ 1841年,老中水野忠邦は,江戸の寄席の全廃を主張した。町奉行は,寄席は歌舞伎などに行けない職人や日雇い稼ぎの者などのささやかな娯楽の場で,そこで働く人々の仕事も失われるとして反対した。結局,15カ所だけが引き続き営業を認められた。
⑶ これより以前の1837年,町奉行は,江戸で例年に比べ米価などが高く,盛り場もにぎわっておらず,建物の普請による仕事の口も少ないことを問題視した。この先さらに状況が悪くなると,職人などは何をするかわからないと懸念し,彼らが騒ぎ立てないよう手を打つべきだと述べた。
⑷ 1842年,町奉行は,江戸の町方人口56万人のうち,28万人余りは日々の暮らしをその日に稼いだわずかな収入でまかなう「その日稼ぎの者」であると述べた。
⑸ 1844年,新任の町奉行は,⑵とほぼ同様の趣旨を述べて,寄席に対する統制の緩和を主張した。軒数の制限が撤廃されると,その数は急増し,700カ所に達したと噂された。
設問
A ⑴のように江戸で寄席が急増したのは,どのような理由によったと考えられるか。歌舞伎と対比される寄席の特徴に留意しながら,2行以内で述べよ。
B 町奉行が⑵⑸のように寄席を擁護したのは,どのような事態が生じることを懸念したためと考えられるか。江戸に関する幕府の当時の政策や,幕府がこれ以前に直面したできごとにふれながら,3行以内で述べよ。