年度 2024年
設問番号 第1問
次の⑴~⑸の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えよ。解答は,解答用紙(イ)の欄に,設問ごとに改行し,設問の記号を付して記入せよ。
⑴ 大宝令によって,朝廷の位階や官職の仕組みが整えられたが,この仕組みは,要職を占める五位以上の官人が特権的な待遇を受けるものであった。彼らの多くは,古くから天皇に奉仕してきた畿内の有力氏族であった。
⑵ 孝謙天皇は,758年に淳仁天皇に譲位したが,しばらくして淳仁天皇と対立すると,国家の大事は孝謙太上天皇が自らおこなうことを宣言した。これを不満とする藤原仲麻呂が反乱を起こすと,孝謙太上天皇はこれを鎮め,ついで淳仁天皇を廃して再び天皇となった。
⑶ 平城天皇は,809年に嵯峨天皇に譲位したが,しばらくすると平城京に遷〔うつ〕って国政への意欲を強めたため,政治的混乱が生じた。嵯峨天皇は,兵を動かして混乱をおさめ,平城太上天皇は自ら出家した。そののち嵯峨天皇は823年に淳和天皇に譲位すると,内裏から離宮に居所を移して隠棲〔いんせい〕した。
⑷ 平安京に遷都して以降,官司の統廃合が積極的におこなわれたほか,大学の制度を改変して学問を奨励し,優秀な者は家柄によらず中央や地方の要職に採用するなど,令制に定められた官人制度の改革がおこなわれた。
⑸ 嵯峨天皇の弘仁年間(810~823)には,平安宮の諸門の呼び名が中国風に改められた。また中国唐の儀礼を参考に朝廷の儀礼を整え,『内裏式』などの儀式書が編纂された。このとき,天皇に対する拝礼の作法が,日本の古い習俗を起源とするものから中国風のものに改められた。
設問
A 9世紀前半に,太上天皇の政治的立場は大きく変化した。それはどのようなものか。2行以内で述べよ。
B 9世紀前半に,天皇と官人との関係は,どのように変化したか。奈良時代までとの違いに留意しつつ,4行以内で述べよ。