年度 1976年

設問番号 第3問


貨幣制度の変遷を述べた次の文章を読み、下線部に関する設問(A)〜(G)に答えよ。

 わが国の貨幣制度は、江戸時代末期、欧米諸国との修好通商条約が、(a)同じ金属でつくられた内・外の貨幣は同量で交換すると定めて以来、国際的条件に強く影響されるようになった。明治初年、政府は(b)円金貨を基本とする貨幣制度を定めたが、アジア貿易における洋銀の勢力と財政難による不換紙幣の乱発とのために、金本位制を確立することはできなかった。そこで政府は、不換紙幣の整理をすすめ、明治10年代末には、日本銀行に銀行券を発行させるとともに政府紙幣の兌換を開始した。ここに(c)銀による兌換制度がひとまず確立された
 日清戦争ののち、(d)金本位制が採用され、わが国の貨幣制度は欧米諸国なみの形態をととのえた。しかし、第一次世界大戦が始まるまでは、(e)兌換のための正貨準備は減少する傾向にあって、その補充のためにしばしば外債が募集され、ときには金本位制の維持が危ぶまれることさえあった。
 第一次世界大戦中に政府は、欧米諸国にならって金輸出を禁止し、金本位制を事実上停止した。大戦中に獲得した巨額の正貨は、戦後急速に失われ、したがって正貨準備は減少した。しかし、金本位制の事実上の停止のために日本銀行券は収縮せず、むしろ、恐慌・不況の救済のために(f)膨張する傾向を示し、その結果、経済状態は悪化した。政府は、このような状態を打開するために、昭和初年に金解禁を断行したが、すでに始まっていた世界恐慌の影響もあって経済状態がいっそう悪化したため、2年もたたぬうちに(g)金輸出をふたたび禁止し、ついで金兌換を正式に停止した
〔設問〕
(A) (a)の結果、どのような事態が生じたか。20字以内で記せ。

(B) (b)を定めた法令の名称を記せ。

(C) (c)に関する下記の文章のうち、誤った文章を一つ選び、その記号を記せ。

(ア) 銀行券の発行は日本銀行だけに認められることになり、国立銀行は普通銀行に転換することを義務づけられた。
(イ) 数年前までは、紙幣と銀貨とのあいだには貨幣価値の大きな差があったが、それは消滅し、紙幣が順調に流通するようになった。
(ウ) 物価の安定と金利の低下とがもたらされ、それを前提に、鉄道・紡績などの会社企業が勃興した。
(エ) 金本位国との貿易取引は、金銀相場の変動のために不安定であり、そのため、金本位制の採用が課題になった。
(オ) 金に対して銀の価格は低下傾向にあったので、対金本位国輸出は不利になったが、銀貨国の多いアジア地域への輸出は促進された。

(D) (d)は日清戦争の勝利によって可能になったが、その理由を20字以内で記せ。

(E) (e)の主な理由として正しい文章を、下記のうちから一つ選び、その記号を記せ。

(ア) 文明開化を急ぐ政府が、貿易収支に注意を払わずに欧米の文物の輸入を奨励した結果、貿易の輸入超過が毎年のようにつづいたためである。
(イ) 官営鉱山のうちに金山がまったく含まれていなかったことにも示されるように、わが国の金の産出がきわめて少なかったためである。
(ウ) 原料の外国依存と、重化学工業の未発達とのために、貿易の輸入超過が毎年のようにつづいたためである。
(エ) 日清戦争をきっかけに始まった日貨排斥運動のために、対中国輸出が停滞をつづけ、その結果、貿易の輸入超過が毎年のようにつづいたためである。
(オ) わが国のアジア大陸への進出にともなって、資本の輸出が増加し、多額の正貨が海外に流出したためである。

(F) (f)は貿易の動向にどのような影響をおよばしたか。30字以内で記せ。

(G) (g)に関する下記の文章のうち、誤った文章を一つ選び、その記号を記せ。

(ア) 恐慌による物価下落に加えて、再禁止によって円の対外相場が低下したので、輸出が急増したが、市場をめぐるヨーロッパ諸国の反発が強まった。
(イ) アメリカはヨーロッバと異なって金本位制を維持したので、円相場の低下にともなって生糸など対米輸出が急増し、貿易の対米依存度が高まった。
(ウ) 兌換の義務を負わずに日本銀行券を増発することが可能になったので、軍備拡張を中心とする財政膨張・インフレ政策に対する歯どめが失われた。
(エ) 金解禁を断行した浜口首相が狙撃されたのにつづいて、金輸出を再禁止した犬養首相も五・一五事件で射殺された。
(オ) この時から現在にいたるまで、わが国が金本位制に復帰することはなかった。