年度 1978年

設問番号 第2問


次のA・Bの文章を読み、下記の設問(A)・(B)に答えよ。

 

A.1428(正長元)年、京都周辺の農民は、京都の住民や武士らと呼応して、一揆をおこし、徳政と号して土倉・酒屋・寺院を襲い、質物を奪い借用証文を破って、実力で徳政をおこなった。この動きは、たちまちのうちに畿内やその周辺にひろがり、奈良をはじめ各地で徳政令の発布がみられたという。さらに1441(嘉吉元)年の土一揆では、京都周辺の農民を主力に、土民数万が蜂起して、京都を包囲し、組織的な行動をもって幕府軍に対抗したので、幕府もついに徳政令の発布を余儀なくされた。これらの事例にみられるように、初期の土一揆は、畿内とくに京都・奈良付近に集中的におこり、その勢力の中心には、これら都市の周辺部の農民の組織的な参加があった。

〔設問〕

(A) 初期の土一揆が、京都・奈良をはじめとする畿内の地域に集中的におこり、かつ、その主力が農民であったことの理由を、この地域の農民社会の状態に重点をおいて、120字以内で記述せよ。

 

B.明治新政府は、富国強兵を標語に近代的な国家の建設をめざして、それまでの封建的な身分制度を廃止し、経済活動に関する諸制限を撤廃するなど、大きな変革をおし進めていったが、この変革が、いくらかの抵抗はありながらも、ほぼ順調に遂行されたのは、既に江戸時代において、それを可能とする条件が、ある程度まで熟していたためであったと考えられる。さらにこの変革を経過することによって、それまでの趨勢はいっそう発展し、社会の様相を変化させてゆくこととなった。

〔設問〕

(B) 上記のように近世から近代へとつながる歴史的な動向を、農民の社会についてみた場合、どのように要約できるであろうか。主として地主制の発展に着目し、下記の四つの語句を全部使用して(使用する順序は自由。ただし文中で使用した語句には下線を付すること)、180字以内で記述せよ。

 商品作物の栽培や問星制家内工業  土地の所有権
 本百姓を基本とする村の組織    米価の下落