年度 1978年

設問番号 第3問


次の文章を読み、下記の設問に答えよ。

 今からほぼ50年前、金融恐慌の収拾のために提出した緊急勅令案を枢密院で否決されて、憲政会の第1次若槻内閣は崩壊した。第1次世界大戦のころ急速に発展した鈴木商店はこの金融恐慌で倒産し、これに融資していた台湾銀行が危機におちいり、その他の銀行にも預金の取り付けがひろがったので、台湾銀行救済のための緊急勅令案が提出されたのである。しかし、枢密院が緊急勅令案を否決した理由は、むしろ憲政会内閣の対中国政策への不満にあり、かわって成立した政友会の田中内閣は、モラトリアム(支払延期令)によって金融恐慌を鎮静させるとともに積極外交に転じ、蒋介石の北伐軍が華北に迫るや山東出兵を断行し、東方会議を開いて外交の基本政策を定めた。満州某重大事件の処理をめぐって田中内閣は退陣し、かわって登場した立憲民政党の浜口内閣は、金解禁や財政整理などの緊縮政策を井上蔵相に、ロンドン軍縮会議などの協調外交政策を幣原外相に担当させた。

〔設問〕

(A) いわゆる「政党内閣」時代の各内閣の崩壊の原因を念頭におきながら、「政党内閣」の特質を120字以内で論ぜよ。

(B) 第l次世界大戦後における日本経済の動向を考慮しつつ、金融恐慌が起った原因について60字以内で説明せよ。

(C) 「満州某重大事件」とよばれた事件の内容について40字以内で説明せよ。