年度 1982年

設問番号 第1問


次の文章は、弥生時代のある時期に属する、ひとつの集落の遺跡について紹介したものである。この文章を読んで、下の設問に答えよ。

 ・・・このあたりの平野は、××川の氾濫の結果として、数世紀にわたって徐々につくりだされた沖積平野である。この平野のなかの、やや高くなっているところのあちらこちらからは、同じ時期の集落の遺跡がいくつか発見されているが、これから問題にしようとする集落は、それらと同じころの遺跡ではあっても少しばかり趣がちがっていて、河川ぞいの低湿地とほぼ同じ高さの場所か、それよりも少しは高い自然堤防の上にひろがっていたと推定される集落である。また、集落の南側の、ほぼ同じ面にひろがって発掘された水田の跡や排水路の跡も、そこから集落周辺と同じ出土品が発見されているため、この集落のものであったと考えられている。
 発掘にあたっては、このあたり一面を覆っていた深さ1メートルほどの青い砂土を取り除いたが、集落の北側には、三段になった砂利層があることが突き止められた。集落の発掘では、同じ地域内に、いくつもの上下に重なった集落址が、よく発見されるものだが、ここでは、この集落址のほかには、なにも発見できなかった。その昔、この集落は、多くても20たらずの小判型平面住居群と、その中央にある2棟の隣り合わせの高床式倉庫とから成っていたらしいが、発掘された住居址からは、住居に大小の規模の差があったとは、認められない。周囲の土の中からは、石包丁、石鏃、土器、丸木でつくった弓、鹿角でつくった釣針や装飾品、田下駄、田舟、竪杵など、いろいろな日用道具が発見された。鉄器らしい形のものは、なにひとつ発見できなかったが、木製の道具の表面には、あきらかに刃物で削ったと思われる痕跡がのこっている。
 不思議なことがひとつあった。2棟の倉庫の柱の穴のどれもこれもに、根元近くでポッキリ折れたと思われる杉の角材や槙の丸太材の残片が、突き差さったままで残っていた。しかも、どうしたことだろうか、これらの残片は、みな同じように、ある方角に少し傾いて突き差さっているではないか。倉庫の棟を支えるための補強柱ならば、地面に斜めに差すこともあろうが、四隅の柱では、まず、このようなことをしないといってよい。・・・・

〔設問〕

この集落がたどった興亡の歴史を、その自然環境から想像して考え、200字(句読点も1字に数える)以内で記せ。