年度 1988年

設問番号 第1問


律令制のもとでの郡司は、政治的・社会的にどのような存在であった

か。次の(ア)〜(エ)の文章を参考にして、7行以内で述べよ。

(ア)他田日奉部直神護という人は、自分の祖父も、父も、兄も下総国の郡司をつとめたので、自分も郡司に任じてほしいと願い出た。

(イ)相模国のある郡司は、貧しい人々に代って、調・庸の布700端余り、出挙の稲l万1000束余りを納め、また、飢えに苦しむ人々に稲5000束余りを支給して、表彰された。

(ウ)律令の規定では、郡司は、道路でその国の国司に出あった場合、原則として馬から下りなげればならなかった。郡司の勤務成績は、毎年国司によって判定され、中央に報告された。

(エ)律令の規定では、刑罰のうち最も軽い笞罪については、郡司が執行することが認められていた。郡司はまた、戸籍・計帳の作製や、調・庸を都に運ぶ人夫の監督、租や出挙の稲穀を納める正倉の管理などにもたずさわった。