年度 1988年

設問番号 第2問


守護大名と戦国大名のちがいは、室町幕府が戦国時代においても存続、し、戦国大名の多くが将軍から守護に任命され、みずから守護と称し、たこともあって、形式的には必ずしも明瞭ではない。下記の文章は、『今川仮名目録』のなかの条文の一部を現代文に訳したものである。ここで、戦国大名今川氏は、みずから「守護(使)不入地」に対する位置づけの相違をとおして、両者のちがいを明らかにしている。これを中心にして、守護大名と戦国大名のちがいを、6行以内で述べよ。

 もともと、「守護使不入」というのは、将軍が全国の支配権をもち、諸国の守護を任命していた時代のものである。(ところで、そのような政治体制のもとでは、)守護使不入であるといっても、(将軍から守護使不入の特権を与えられた者が、)不入地に対する将軍の干渉を拒否することはできないであろう。(それと同じ理屈で、)現在は、一般に(大名が、)自分の力で国法を制定し、領国内の秩序と平和を維持しているのであるから、(大名が認めてやった守護使不入地に対し、)大名の干渉をまつたく許さないということは、あってはならないことなのである。