年度 1994年

設問番号 第1問


次の史料を読み、下記の設問に答えよ。

(1) 興死して弟武立つ。(略)順帝の昇明二年(478年)、使を遣して上表して曰く、封国は偏遠にして藩を外に作す。昔より祖彌(父祖、または祖父の彌〔珍〕か)躬ら甲冑を〓[つらぬ]き、山川を跋渉して寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平らぐること九十五国。(略)臣(武)、下愚なりといへども、忝なくも先緒を胤ぎ、統ぶる所を駆率して、天極(皇帝のこと)に帰崇し、道百済を遙て船舫を装治す。(略)詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に除す。         (『宋書』倭国伝、原漢文)

(2) 大業三年(607年)、其王多利思比孤、使を遣して朝貢す。使者曰く、聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣して朝拝せしめ、兼ねて沙門(僧侶)数十人をして、来って仏法を学ばしむと。其の国書に曰く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云云」と。帝(煬帝)、之を覧て悦ばず。鴻臚卿(外交を司る官)に謂ひて曰く、「蛮夷の書、無礼なる有らば、復た以て聞する勿れ」と。            (『隋書』倭国伝、原漢文)

設問

A 史料(1)と史料(2)の間では、倭国の王の中国皇帝に対する対し方はどのように変化しているか。2行以内で述べよ。

B 設問Aの変化をもたらした歴史的な背景を、国内・国際両面について5行以内で述べよ。