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年度 2021年

設問番号 第3問


次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400 字以内)

 近現代日本の民主化の歴史は,男性と女性のいずれからみるかによって,大きく異なる。1889年,大日本帝国憲法と同時に公布された衆議院議員選挙法は,満25歳以上の男性,かつ直接国税[  ①  ]円以上の納入者のみに選挙権を付与した。ようやく1925年には普通選挙法が制定されたが,女性には選挙権が与えられず,満25歳以上の男性に限定された。
 女性参政権を求める動きがなかったわけではない。⒜平塚らいてう,市川房枝らが1920年に設立した[  ②  ]は,その代表例である。 1922年には,女性の政治活動への参加を禁止した[  ③  ]第5条が改正され,女性も政治集会に参加できるようになった。1924年には,市川らが婦人参政権獲得期成同盟会を結成した。ところが,女性参政権は翌年の普通選挙法では実現しなかった。
 1945年, 日本は太平洋戦争に敗れ,アメリカを中心とする連合国の占領下に置かれた。その年の10月,マッカーサー最高司令官が幣原首相に対して⒝五大改革指令を発し,そのなかに女性参政権の付与を盛り込んだ。これを受けて12月に衆議院議員選挙法が改正され,満20歳以上の成人男女に選挙権が与えられた。1947年に施行された日本国憲法には,議員および選挙人の資格を性別で差別してはならないという規定が置かれた。
 1946年の戦後初の総選挙では, 39名の女性議員が誕生し,衆議院議員の8.4%を占めた。だが,その割合は次第に低下し,参議院議員を含む国会議員全体でも低迷した。こうしたなかで国会についても⒞女性の進出が進むきっかけとなったのは,1989年の参院選であった。この選挙では,日本の憲政史上初めての女性党首となった土井たか子を委員長とする[  ④  ]が,多数の女性候補を擁立して躍進し, 「マドンナ旋風」と呼ばれた。
 しかし,近年も女性の割合は衆議院で1割程度,参議院では2割程度にとどまっている。このような状況を是正するため, 2018年,国会と地方議会の選挙で男女の候補者数を均等にするよう政党に努力を求める「候補者男女均等法」が成立した。

問1 ①~④の空欄に入れるべき適切な語句を書きなさい。

問2 下線部⒜に関して, この人物ら雑誌『青鞘』の人々が主張した「新しい女」とは何かを説明しなさい。

問3 下線部⒝に関して, GHQが占領政策の一環として労働組合の結成を奨励した理由を説明しなさい。

問4 下線部⒞に関して, 1985年,雇用の面で男女差別の禁止を義務づける法律が制定された。その名称とそれを制定する背景となった国連の動きについて説明しなさい。


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