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年度 1979年

設問番号 第1問


次の文章を読んで,下記の問いに答えよ。

 熊沢蕃山(1619〜1691)は,農兵論を主張した陽明学者であるが,その立場から17世紀末ごろの日本農・林業について,次のように記したといわれる。
「耜は農具の初也,今日本にては牛にからすきをかけて耕す所もあり,馬にまくはといふものをかけてすく所あり,すきにて人のかへす所もあり,いにしへは上田は毎年作り,中田は一年やすめて作り,下田は二年やすめて三年め三年めにめぐりて作しなり,此故にこやしといふものさのみ用ひずといへり,今は中田下田ともに毎年間なく作る故に,こやし多くいれば,一年中こやしを取にいそがはしき所もあり」(集義和書)
「それ山林は国の本なり,春雨五月雨は,天地気化の雨に候,六七月の間には,気化の雨はまれにして,夕立を以て田畠を養へり(中略),山に草木なければ(中略)水を生ずる事も少なければ,平生は田地の用水すくなく,舟をかよはすことも自由ならず」(集義外書)

問い.14世紀から17世紀にいたる間の,水田稲作農業の技術的発展について,下線の部分に即して具体的に記すとともに,その農業に従事していた農民たちの村落組織の変化を,その技術的発展との関連で,具体的に記せ。(200字以内)


【解答例】
中世では牛馬耕が普及し,刈敷や草木灰など自給肥料の使用によって農業生産力が向上した結果,小農民が成長し,有力名主・地侍層を中心としながら広い階層の百姓による惣村が形成された。それに対して近世では,検地と兵農分離,幕藩領主による灌漑用水の開発を伴う新田開発が進んで小農民の自立が一般化し,深耕に適した備中鍬などの農具の改良,干鰯や油粕など金肥の普及が進み,小農経営の本百姓を中心とする村落が形成された。(200字)