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年度 1981年

設問番号 第2問


次の文章を読んで,下記の問い(ア)〜(エ)に答えよ。(300字以内)

 (ア)1858(安政5)年,大老井伊直弼は勅許を得られないままに日米修好通商条約を結び,ついでオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結んだ。(イ)翌年,この通商条約に基づいて,神奈川・長崎・箱館の三港が開港され,それ以後,わが国の貿易は急速に発展した。しかし,輸出の急増による品不足や市場の混乱が生じ,金貨の流出もあって,幕末期の物価騰貴はいちじるしかった。
 (ウ)明治政府は,地租改正や秩禄処分によって富国強兵政策の基盤を整備するとともに,官営事業を中心に欧米先進国の技術と生産方法を導入して殖産興業政策を推進した。(エ)また,鉄道,近代的郵便制度,電信なども開設され,新貨条例,国立銀行条例が制定されて,貨幣・金融制度も整備されていった。さらに,一部の民間企業も政府の手厚い保護を受けて,政商として発展していった。

(ア) これらの修好通商条約が不平等条約だといわれるのはなぜか。1866(慶応2)年の条約もふくめて,具体的に説明せよ。
(イ) 物価騰貴は人々の生活を圧迫し,1866(慶応2)年には各地で大規模な民衆運動が発生した。この運動の直接の原因となった政治情勢とあわせて,どのような民衆運動が発生したかを略述せよ。
(ウ) 明治初年に政府がとりわけ力を注いだ官営工業について説明せよ。
(エ) 政商としてもっとも著名な事例を一つ選び,その発展を明治政府との関係に留意して略述せよ。