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年度 1987年

設問番号 第3問


次の文章は,1935年(昭和10)10月15日付の政府声明の一節である。これを読んで,次の問い(1)〜(3)に答えよ。(400字以内)

 抑ゝ我国に於ける統治権の主体が天皇にましますことは我国体の本義にして帝国臣民の絶対不動の信念なり,帝国憲法の上諭竝条章の精神亦茲に存するものと拝察す,然るに……(中略)……所謂天皇機関説は神聖なる我国体に悖り其本義を愆るの甚しきものにして,厳に之を芟除せざるべからず,政教其他百般の事項総て万邦無比なる我国体の本義を基とし其真髄を顕揚するを要す,政府は右の信念に基き茲に重ねて意のあるところを闡明し以て国体観念を愈ゝ明徴ならしめ其実蹟を収むる為全幅の力を効さんことを期す。

(1) 天皇機関説の内容とその政治史的意義について具体的に述ベよ。
(2) 政府がこの声明を出したことは,日本のファシズム化の過程においてどのような意味を持ったかを,具体的に説明せよ。
(3) ここで示されたような「国体観念」は敗戦後どのような形で否定されることになるか。政治上,教育上,宗教上などでとられた措置を4つあげ,その内容を具体的に説明せよ。


【解答例】
1美濃部達吉を代表とする憲法学説。法人としての国家が統治権の主体であり,天皇は憲法の規定にしたがって統治権を行使する国家の最高機関であるとした。これにより天皇の名のもとでの藩閥官僚勢力らの恣意的政治が抑えられ,政党政治の形成が促された。
2政府が天皇機関説を否認し,天皇の統治権を神権的・無制限なものとする憲法解釈を公認したことで,統帥権の独立のもとで天皇に直属する軍部が内閣や議会を抑えて国家運営に大きな発言力を確保する根拠となった。さらに,神話を根拠として天皇統治の永遠性と他国に対する優越性を説く国家主義が台頭する契機となり,自由主義・個人主義思想でさえ反国体的として排斥される風潮を助長した。
3国体変革罪を罰した治安維持法が廃止されると共に,天皇自ら神格を否定する詔書が発され,日本国憲法では主権在民が明文化された。また忠君愛国を理念とする教育勅語が失効となり,神道指令で国家神道が解体された。
(総計400字)