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年度 1991年

設問番号 第1問


次の文章を読み,下記の問いに答えよ。(400字以内)

 京都は,都城としての平安京の造営によって誕生した都市である。都城に本来の都市住民ばかりでなく,地方より上がってきた人々も居住し,律令国家の首都の機能を支えていた(1)。従って,律令国家の衰退は,京都の機能・景観・住民構成などの変化をもたらすこととなる。平安時代後期には,律令政府の設定した七条の東市・西市は忘れられた存在となり(2),繁華街は七条町・三条町・四条町へと移っていった。これらの町は,新たに発展してきた商工業(3)によって作られた商店街であった。こうした京都の商工業は,中世を通じて全国的流通の中心として発展を続け,その担い手の地位も上昇した。そして彼らは,中世後期には京都の町の運営の重要な一部を構成するに至るのである(4)。

問l 下線部(1)について,具体的に説明せよ。
問2 下線部(2)のような状況が生まれた理由を述べよ。
問3 下線部(3)の「新たに発展してきた商工業」の特徴と,その中世後期に向けた動向について述ベよ。
問4 下線部(4)の具体的内容を説明せよ。


【解答例】
1公民や郡司子弟から徴発された衛士や兵衛が宮城の警備にあたり,公民から徴発された仕丁が官司の雑役に従事したほか,資人に任用されて有力貴族の公的な従者となるものもいた。
2平安後期には,受領の徴税請負人化が進み,受領のもとに富が蓄積されていることを前提として朝廷の財政がまかなわれる一方,天皇家や有力貴族・寺社が各地に荘園の設立を進めた。そのため,物資流通が朝廷の管理から離れ,東市・西市は衰退した。
3商工業者は,天皇家の家産経済をになう諸官司に所属する供御人や,有力貴族・寺社に私的に従属する神人などに編成され,それら本所への奉仕・貢納の代償にさまざまな特権を獲得して活動した。中世後期には,本所への隷属性が弱まり,供御人・神人の称を新たに得るものも増加したが,一方で新興商人が台頭し,売買の権利をめぐる対立が発生した。
4地縁的な自治組織である町の構成員として町衆とよばれ,月行事を中心に自治運営した。
(総計400字)