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年度 1992年

設問番号 第3問


1921(大正10)年から翌年にかけて開かれたワシントン会議で日本の外交政策は大きく転換した。これについて、下記の問いに答えよ。(400字以内)

問1.この会議でつくりだされた東アジア・太平洋地域での新たな国際秩序を何とよぶか。また、この国際秩序を生みだす背景となった東アジア・太平洋地域をめぐる情勢の特徴を第一次世界大戦前のそれと対比しながら説明せよ。
問2.海軍の一部に反対があったにもかかわらずワシントン海軍軍縮条約の締結に日本政府がふみきった理由を、第一次大戦期からの日本の経済と国家財政のあり方の変化に着目して具体的に説明せよ。
問3.ワシントン会議後の国際秩序の下で展開された日本の対中国政策の特徴を幣原外交を例にとって説明せよ。また、幣原外交が破綻するにいたる経過を説明せよ。


【解答例】
1ワシントン体制。日露戦争後,南満州をめぐって日米が対立したが,日英同盟・日露協商により国際関係は安定していた。しかし第一次世界大戦のなか,イギリスの国際的地位が後退,ロシア革命で帝政ロシアが崩壊し,かわって日本が東アジア・太平洋地域に勢力を拡大した。それに伴い日米対立が激化,中国民族運動も高揚して国際秩序が動揺していた。
2日本経済は大戦景気で活況を呈したもののヨーロッパ諸国の復興により戦後恐慌に陥り,税収が減少したため,建艦競争による海軍拡張費が国家財政を圧迫しており,軍事費の削減が求められた。
3対米英協調によって列強間の中国権益の相互承認を図るとともに中国への内政不干渉によって権益確保をめざした。しかし北伐と金融恐慌によって枢密院・軍部の支持をえた政友会田中内閣による積極外交に代わり,後に復活した幣原外交も,中国の国権回復運動の進展と昭和恐慌の下で,関東軍が満州事変を起こして破綻した。
(総計400字)