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年度 1993年

設問番号 第1問


次の史料は,1485(文明17)年に周防の守護大内氏によって出された撰銭令の一部である。この史料を読み,下記の問いに答えよ。(史料には,読み下しにするなどの変更が加えられている。)(400字以内)

禁制
一,銭を撰ぶこと
 段銭のことは,往古の例たる上は,撰ぶべき事,勿論たりといえども,地下の仁宥免の儀として,百文に,永楽宣徳の間廿文あて加えて収納すべき也。
一,利銭並びに売買のこと
 上下大小をいとわず,永楽・宣徳においては,撰ぶべからず。さかい銭洪武銭打ち平め,この三色をば撰ぶべし。但し,かくのごとく相定めらるるとて,永楽・宣徳ばかりを用うべからず。百文の内に,永楽・宣徳を卅文加えて使うべし。

問1 この法令を通じて大内氏が目指したのは何か。下線部の言葉を用い,説明せよ。
問2 撰銭令は,15・6世紀に集中的に出されているが,それは何故か。貨幣流通・国家のあり方の面から,江戸時代と対比させて論ぜよ。
問3 貨幣流通の発展は,政治制度にも影響を与えた。貫高制はその主要な一つである。貫高制の内容について説明せよ。


【解答例】
1撰銭をさかい銭・洪武銭・打ち平めに限定して,永楽銭・宣徳銭の撰銭を禁止するとともに,大内氏へ納入する段銭については,それらの混入率を民間流通よりも低く抑制した。それにより,円滑な貨幣流通を確保するとともに,大内氏による良銭の確保をはかった。
2江戸時代は,江戸幕府が統一権力を確保し,貨幣鋳造権を掌握したため,規格の統一された貨幣が全国的に通用した。しかし,15・16世紀には貨幣鋳造を行う統一権力が不在で,中国銭が流通したため,種類の異なる貨幣が混在していた。さらに,商品経済の発展にともなって貨幣不足が生じ,次第に粗悪な私鋳銭が増加した。こうしたなか,粗悪な銭貨の受取りを拒否する撰銭が発生しており,室町幕府や戦国大名は撰銭令を発して撰銭を規制する必要が生じていた。
3貫高は土地の価値を銭額で表示したもので,戦国大名のもとでは家臣への知行給付・軍役賦課や百姓への年貢・諸役賦課の統一的な基準とされた。
(総計400字)