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年度 1993年

設問番号 第3問


 次の史料は,1941年12月8日の太平洋戦争の開戦に際して発せられた宣戦の詔書の一節である。ここには,日本政府の立場からみた太平洋戦争の戦争目的が掲げられているが,この史料を読んで以下の問いに答えよ。(400字以内)

中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セズ,濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱シ,遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ,茲ニ四年有余ヲ経タリ。幸ニ国民政府更新スルアリ。帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ビ,相提携スルニ至レルモ,重慶ニ残存スル政権ハ,米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟未ダ牆ニ相閲グヲ悛メズ,米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ,平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス。剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ,更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ユル妨害ヲ与ヘ,遂ニ経済断交ヲ敢テシ,帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。〔中略〕斯ノ如クニシテ推移セムカ,東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ,帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ。事既ニ此ニ至ル,帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ。

問1 「更新」した「国民政府」および「重慶に残存する政権」とは何か。日中戦争以降の日本の対中国政策の特質と関連させながら具体的に説明せよ。
問2 「経済断交」とは何か。また,このような対抗措置を引き出した日本の対東南アジア政策の特質を1936年にまでさかのぼって段階的に説明せよ。
問3 この詔書のなかでは,「自存自衛」という戦争目的が掲げられているが,戦局の悪化に伴い,日本政府は,1943年の大東亜会議にみられるように,これとは異なるもう一つの戦争目的を強調するようになる。東南アジア諸国の動向にもふれながら,この大東亜会議について具体的に説明せよ。


【解答例】
1南京占領を契機として日本は,国民政府を対手とせず声明を発したが,蒋介石の国民政府は重慶に移って抗戦した。それに対して日本は,東亜新秩序声明を発して汪兆銘の擁立工作を進め,南京に「更新」した国民政府を樹立させた。
2東南アジア進出の方向性は,広田内閣のもと,「国策の基準」で国策として策定された。そして日中戦争が長期化するなか,米英による援蒋ルートの遮断・資源の確保をめざして仏印への進駐を進めた。すでに日米通商航海条約を破棄していたアメリカは,在米日本人資産凍結と石油禁輸措置で対抗し,イギリスやオランダ領東インドもそれにならった。
3ビルマやフィリピンを独立させたうえで満州国や汪兆銘政府なども含めて代表を招請して大東亜会議を開催し,欧米の植民地支配からの解放を掲げ,大東亜共栄圏の結束を誇示した。しかし,皇民化政策を進め,戦争遂行のための資源・労働力調達を優先したため,次第に抗日運動が高まった。
(総計399字)