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年度 1994年

設問番号 第1問


江戸時代の農民統制のための基本法令として、1643(寛永20)年の田畑永代売買の禁令と、1673(延宝元)年の分地制限令があげられる。この両者に関連して、以下の問いに答えよ。(400字以内)

問1 分地制限令は、なぜ1673年という時期に出されたのか、その理由を経済的・社会的背景に留意して述べよ。
問2 田畑永代売買の禁令以降の近世における土地移動について、享保の改革時に出された幕府の法令と、それに対する農民の対応を含めて述べよ。
問3 近世には農業技術の面でも、その時代の農民経営にふさわしい技術発展がみられた。このことを、田畑を耕す農具(耕作具)を例に、中世の技術発展と比較して具体的に述べよ。


【解答例】
117世紀後半には小農経営を主体とする本百姓体制が確立したが,同時期,新田開発がほぼ限界に達しており,田畑の分割相続がくり返されれば経営の零細化は避けることができなかった。そこで,本百姓からの年貢収取を経済基盤とする幕府は,分地制限令を出し,分割相続による本百姓の零細化・没落を防ごうとした。
2田畑永代売買の禁令以降も,田畑の質入れ・質流れという形で土地移動が行われていた。享保の改革では当初,小農経営維持のため質流地禁止令を発してそれを禁じたが,出羽長瀞や越後頸城などで百姓が質流地取戻しを求める質地騒動が起きたため,まもなく質流地禁止令を撤回し,質流れという形での土地移動を黙認した。
3名主が下人・所従などの隷属農民を駆使して大農経営を行った中世では,牛馬に犂をひかせて田畑を耕す牛馬耕が主であったが,小農経営が一般化した近世では,深耕に適した備中鍬が考案されて普及し,労働集約型の農業が発展した。
(総計400字)