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年度 2015年

設問番号 第4問

テーマ 都市化とマスメディアの発展による社会変化/近代


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問われているのは,「上のような」社会の変化が政治のしくみをどのように変えていったか。対象時期は,第一次世界大戦中から大正時代の終わりまで。

まず,「上のような」社会の変化を確認しておこう。
問題文には
○第一次世界大戦中から
○都市化とマス=メディアの発展が顕著
○海外からの情報と思想が大量かつ急速に流入
と書かれている。
中心は,①都市化と②マス=メディアの発展である。
次に,それぞれの内容を簡単に確認しておこう。
①都市化
○都市人口が増加…労働者(特に男子労働者)が増加するとともに,会社員・銀行員などのサラリーマンも増えた。
○都市の領域が拡大…市街地が郊外へと広がり,サラリーマン向けの新興住宅地が出現した。
○景観が近代化…鉄筋コンクリート造のビルディングなどが増加した。
②マス=メディアの発達
○同一の情報を一挙に大量の人間に伝達することを可能とするメディア
(例)新聞,雑誌,映画,レコード,ラジオ放送

さて,こうした状況が「政治」とどのように関わったのか。
第一次世界大戦中から大正時代の終わりという時期設定から,大正デモクラシー,つまり民衆の政治参加や市民的自由の拡大をめざす動きの高まりが想定できる。
大正デモクラシーの風潮が広まったのは,労働者やサラリーマンなど都市民衆の量的な増加が背景の一つであり,富山県で始まった米騒動が新聞報道とともに全国各地に拡大したことを想起すればわかるように,都市民衆の動きと新聞・雑誌での報道とが結びつきながら一つの政治的潮流が形成されていった。さらに,世界的な民主主義の風潮やロシア革命といった国際的な動きも背景の一つとされ,これは「海外からの情報と思想が大量かつ急速に流入」という問題文での説明にも照応している。
次に考えるのは,大正デモクラシーの風潮のなかで「政治のしくみ」にどのような変化が生じたのか。
第一次世界大戦中には,立憲同志会などの政党を基盤とした第2次大隈内閣,立憲政友会を基盤とする政党内閣である原内閣が成立したものの,その前後には,寺内内閣,加藤(友)内閣,第2次山本内閣などと官僚主導の内閣が断続的に組織されていた。ところが,清浦内閣に対抗する第2次護憲運動をうけて加藤(高)護憲三派内閣が成立し,政党内閣の慣行が始まる。
つまり,政党の果たす役割が次第に大きくなり,官僚主導の内閣に代わって政党内閣の慣行が出現するにいたる。
さらに,普通選挙の実現を求める運動(普選運動)が展開する。原内閣は時期尚早の立場をとったものの,加藤(高)護憲三派内閣のもとで男子普通選挙が実現する。
この2点が指摘できればよい。


問われているのは,「上のような」社会の変化が生んだ,国際的な性格をもった社会運動の内容,この動きに対する当時の政権の政策。「当時の政権」とは,具体的に何をさすのか,非常に曖昧だが,「国際的な性格をもった社会運動」が生まれた頃をさすものと考えておけばよい。

「国際的な性格をもった」社会運動とは何か。
問題文で,海外からの情報と思想が大量かつ急速に流入したことが指摘されていることを念頭におけば,海外からの影響を指摘できる社会運動を想起すればよいことがわかる。
第一次世界大戦期以降におこった社会運動としては,労働運動,農民運動,女性運動,部落解放運動,社会主義運動があげられる。これらのなかから,都市化に関連し,さらに,欧米やアジアなど海外からの影響を具体的に指摘できるものをひっぱりだせばよい。
社会主義運動の一つ,日本共産党の結成が思いつく。都市の知識人を中心とし,労働運動の活動家も含め,コミンテルンというロシア革命のなかで組織された国際共産党組織の日本支部として非合法に結成された。
これに対して「当時の政権」が何を行ったのか。教科書レベルで言えば,加藤(高)護憲三派内閣が治安維持法を制定し,国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社を取締ろうとしたことを思い浮かべればよい。

なお,ベルサイユ条約に基づき,労働条件の改善とその国際的な統一を目的として国際労働機構(国際労働機関,ILO)が創設され,日本もそれに加盟したことを契機として,労働運動のなかで労働者の権利確保を求める動きが高まったことを指摘してもよい。
当時,治安警察法には労働組合への加入,ストライキや団体交渉などを実質的に禁止する規定(第17条)が含まれており,それを撤廃し,労働組合を公認することを求める運動が日本労働総同盟などによって展開された。この結果,1926年に治安警察法第17条は削除されたものの,労働組合法の成立までにはいたらなかった。
もっとも,これは教科書レベルでは細かすぎるが。


(解答例)
A都市民衆を中心に政治参加を求める動きが活発となり,政党のもつ社会的役割が増大した。その結果,官僚主導の内閣と制限選挙に代わり,政党内閣の慣行が始まり,男子普通選挙が導入された。(89字)
B世界革命をめざす国際共産党組織コミンテルンの支部として日本共産党が非合法に結成され,社会運動に共産主義が浸透した。これに対して,政府は治安維持法を制定して共産主義組織を取締った。(90字)
(別解)ILOの創設を背景として労働者の権利確保を求める運動が展開した。これに対して,政府は治安警察法を改正して争議行為などを禁止する条項を削除したが,労働組合法制定は実現しなかった。(89字)


【添削例】

≪最初の答案≫

A都市を中心に民衆の政治への関心が高まり,政治参加を求める動きが活発化し,藩閥勢力中心だった内閣は政党内閣へと変わり,制限選挙に変わって男子普通選挙が導入され政党内閣は慣行化した。

B国際的な共産党組織であるコミンテルンの影響をうけ,日本共産党が非合法的に結成され,共産主義の影響をうけた社会運動,労働運動が展開された。政府は治安維持法を制定して弾圧した。

A・BともにOKです。
ただし,Aの答案は羅列感がはんぱないですね。少なくとも2文で構成するように工夫するほうがいいです。